2021年9月2日木曜日

それでいいのか、アメリカ人 3

 アメリカ人は薬に詳しい

 アメリカでの医師免許を取得していろいろ驚いたことがある。別の精神科医から紹介されてきた患者さんに、「いまどのようなお薬をのんでいますか?」と尋ねると、なんとすらすらと薬の名前が出てくるではないか。最初は几帳面な人だけかと思っていたが、ほとんど皆さんそうである。日本だとこうはいかない。「寝る前の薬ですか? えーっと白い薬と紫色の丸いヤツと、それと黄色いのを二つ飲んでいます。名前ですか、えーっと・・・・。ゴソゴソ(カバンの中身を探す音である)」そしてあとはお薬手帳の出番である。少し脱線だが、アメリカから帰って一つ感心したのはこのお薬手帳の存在である。昔はこれがなかったから、「紫色の薬」の正体を知ることが出来なかったりしたが、今はこのお薬手帳のおかげでその正体を突き止めることが出来るのだ。(ちなみに私も一応プロであるから、紫色というのは、パッケージが紫色なのが特徴のレンドルミン、黄色というのはおそらくデジレルのことであろう、ということは話をきいているそばから想像できる。問題は「白い薬」である。なぜならたいていの薬は「白い」からなのだ。)

 アメリカ人の話に戻る。本書に何度も出てくることになるが、彼らは概して「いい加減」である。その彼らが薬の名前をすらすら言えるということはただ事ではない。そこでいろいろ考えた。

 ひとは自分が何をどの目的で飲んでいるかを本来は気にするべきものである。おなかが空いたので駅の売店によったら、たまたま「紫色の丸い」食べ物がおいしそうだからと、買って口にするだろうか? その正体は何か、値段は?そして几帳面な人はカロリーや賞味期限も確認するかもしれない。だって毒が入っているかもしれないし、そもそも食べ物ではないかもしれないではないか? アメリカ人はそもそも人を信用していないところがある。あるいはお互いに警戒しているというべきだろうか? 少なくとも自分の身は自分で守るという気持ちは徹底している。だから薬も何をどの目的で飲むのか、ということについては敏感になるのだ。

これが「紫色のまるい」薬の正体
これが「紫のまるい薬」の正体だ


さてこのように考えると日本人の患者さんが自分のお薬を覚えるということは、自分の病気やそのための治療を自覚することに貢献しているのだろうか? そしてそのために日本のお薬手帳は一役買っているだろうか?そうかもしれないしそうでないかもしれない。いや、ますます患者さんは薬の名前を覚えなくなっているかもしれない。彼らは几帳面にはなるが薬は覚えない。なぜならもっと几帳面な方は、薬局で一緒に交付されるA4判のお薬リストをしっかり持っていて、それをさらにカバンの奥から取り出して見せてくれるからだ。私も2004年に記憶してこれを見てさすがに目が点になったが、そこには薬のパッケージのカラーコピーがご丁寧に描かれている。丸い紫色の薬も一発でわかるようになっている。私はこれで確信したのだ。「日本人はこれで増々薬の名前を覚えなくなる!」

 ちなみにまた余談である。私は少なくとも米国にいる間は薬の形状や色に詳しかった。今でもはっきり覚えているが、たとえば抗うつ剤のジェイゾロフト(アメリカではただのZoloft であった)は、25ミリが薄緑の長楕円形、50ミリがすこし大き目同じ形の水色、100ミリがさらに大きめの黄色のタブレットだった。抗うつ剤でジェイゾロフトと同じくらい人気のパキシルなら10ミリは小さなフットボール型、20ミリはピンク、30ミリは青、40ミリは黄色である。このように見た目もカラフルで、飲む人が何を飲んでいるかもよくわかるようになっている。そしてこれらは「試供品」として薬会社のセールスマンがどっさり医師のもとに置いていくのだ。今は規制されているかもしれないが、当時の医師のオフィスの机の中は、各社がしのぎを削って配りまくる試供品でぎっしりだったはずである。医師の側はそれぞれの形状をしっかり目に刻みつつ、この薬を処分しないとオフィスの棚があふれかえってしまう、と考えざるを得ない。そして「処分」の方法は、患者さんにタダで配るのである。

米国は保険に加入できていない人たちもたくさんいる。私が一時勤めていた公立の「精神衛生センター」などは、保険を持たずに、薬を実費で買えない人が普通であった。そこで彼らにタダで持って行ってもらうのである。例えばゾロフトという薬が新発売になると、薬屋さんがこぞって試供品を持ってくる。すると「ゾロフトか、色もきれいだし、効くかもしれないし…」などと言う気持ちも働いて、また患者さんにタダでもらっていただく代わりに、新薬の効き目を教えてもらう、ということになる。