2021年9月6日月曜日

大丈夫か、アメリカ人 7

 お香典は紙袋回し

  プレゼントがらみでの話である。本当に「大丈夫か、アメリカ人!」と言いたくなるが、他方では「さすが、アメリカ人」と思えたという体験について話してみる。

私は米国滞在中に何度かお葬式にも列席したことがあるが、教会で行われる式はいたってシンプルで時間も短い。出席しながら、日本の葬儀の習慣から、「お香典はどうするのだろう? と言うよりそもそもキリスト教のお葬式にそんな習慣はないのだろうか?」と思っていた。そのうち式の最中に茶封筒が回ってきた。A4の普通の封筒である。みるとそこに一人一人お金を入れていく。みな3ドルとか5ドル程度を入れている様子である。別に誰が何ドルを入れたかというのはどこにも記録されていないし、誰も一人一人が財布からいくら取り出して入れるかを見ているわけではないが、回ってきた封筒の中身をちらっと覗くと、すくなくとも50ドルとか100ドルなどの高額な紙幣は見当たらない。私は少し安心して20ドル札を一枚入れて隣の人に回した。数十人の列席者からのお金がどれほどになるかはわからないが、多くでざっと200ドルくらいかと思う。それにしても何たるシンプルさ!でもこれでいいのだろうか?

ちなみに5ドル札を一枚入れたとしても、日本円で言えば数百円の価値である。ふつうお香典で私たちは万単位のお金を包むのであるから、あまりにけた違いである。この種の本当にそういうものかと思う方もいらっしゃるかもしれない。でもそういう様な場面で彼らの入れる金額はせいぜい数ドル程度であることは私はよく分かっている。というのはそれがアメリカ人の財布事情だからだ。

暫くアメリカに暮らすと非常に不思議な現象が起きる。日本での一万円は、アメリカでの20ドル札に感じが近いのだ。皆財布に入れているのはせいぜい5ドルないし10ドル程度のお札である。20ドル紙幣で買い物をするという事は少ないし、そもそも買い物の時に登場するのはチェック(小切手)である。

皆本当によく小切手を使うのには感心する。マーケットでも支払いは小切手帳を取り出し、金額を書き入れてサインし、ビリビリと破って渡しておしまいである。あるいはクレジットカードの出番だ。もちろん十数年前に比べたら、クレジットカードの方が圧倒的に頻度としては増えているであろうが、小切手の出番も意外なほど多い。いつも財布の代わりに取り出し、端数も含めて描き込んで渡すだけ、という手軽さのせいだろうか。最初は面倒だと思っていた私もいつの間にかそれに慣れてしまっていた。

ただし私は日本との行き来のために便利なように、100ドル札もいつも何枚か持っていた。しかし銀行で卸すのでピン札が多い。そしてそれをドラッグストアーやガソリンスタンドで使うにはほんの少しだけ勇気がいる。100ドル札を出された店員は怪訝そうな顔をして、電灯にかざして透かしを確認して偽札チェックをされることもあるのだ。日本で万札を出したら透かしをチェックされる、なんてことが起きるだろうか?

なんだかアメリカでの物事のシンプルさになれると、日本で起きていることがあまりにもきめ細かいことの方が不思議になってくる。第一お香典袋の定型的なものがコンビニに売られていて、それを包む分厚い特殊な風呂敷みたいなものまで用意されているって、いったい何なんだろう?