久しぶりに何も書く気になれない。今日も大部分のクライエントが来院。それぞれが震災のストレスを被っている様子。3月11日の震災そのものというよりは、それから続く余震の恐怖、福島原発に関する不安、買い占め、ガソリン不足、そして後ろめたさ。震災の瞬間は恐怖というよりは驚き、興奮。その瞬間は倒れそうな本棚を抑え、あるいは必死の思いで建物から脱出し、高揚感すら体験しても、その後が延々と続くストレスと復興に向かう長い道のり。これがボディブローのように効いてくるのであろう。
今日は私がもっとも大切に思っていた先生の訃報を伝えられた。でもインターネットでその先生の名前を検索しても訃報は何も伝えられていないから、まだ誤報ではないかとさえ思ってここには書けない。歳を取ることは、それまで偉大な先輩として直接間接に接していた人々を次々と失っていくプロセスである。吉田哲雄先生、小此木啓吾先生、土居健郎先生とお見送りした。でも昨日亡くなった先生は私にはとても大きな意味を持っていた。精神科医でありながら、精神病理学者でありながら[この「ありながら」というのは余計だが)非常に慎み深く、謙虚な先生であった。合掌。
2011年3月18日金曜日
2011年3月17日木曜日
大震災の爪跡(5) + 社交恐怖の精神分析的なアプローチ(6)
あすで震災から一週間。まだまだ日常を取り戻したには程遠い。でも余震は今日は少なかった気がする。自分がある程度役割をはたすことを予定されていた集まりが次々とキャンセルになっている。そのせいか時間の余裕ができている。その分本を読み、原稿書きに費やす。診療は今日などは大多数の患者さんは外来にいらっしゃる。皆さん震災のせいか体調がすぐれない。まず尋ねることは、この一週間の様子。怪我はなかったか、家族は無事だったか。帰りは銀座線が止まっていた。いらだちを隠せないひとが多い。外は春には程遠い寒さ。青山通りを帰る。いつもよりずっと暗く、ネオンも見えない。立ち寄ったコンビニに、少しは品は戻ってきている印象。しかしガソリンスタンドにはどこも長い列。むろん東北地方の惨状はいやでも耳に入ってくる。そのたびに心が痛む。福島原発は3号機への放水が始まったばかり。まだ先が見えない。
手が震えるという訴えの40代前半の女性Aさんの話であった。B先生はCBT(認知行動療法)的な要素を取り入れようとしていた。あの有名なCBT、保険の点数にも加えられることになった治療法である。精神分析的なオリエンテーションを持つB先生にとっては、CBTはいわばライバルのような治療法である。しかしそのような手法もAさんには必要だと考えていた。しかしB先生のCBTの導入の仕方は、やはりどこか「精神分析的」であった。
B先生のCBTの導入は、ある意味ではごく自然な発想に基づくものであった。それは治療状況で「手が震えやすい環境」を作り出し、Aさんにそれに慣れる練習を一緒にしよう、という提案だった。これまでの私の説明では、治療環境は、それが安定したものであればあるほど、対人恐怖を起こす可能性のある「パフォーマンス状況」がおきにくいということであった。しかし、だからこそ治療状況は手の震えを再現するのに最適なのである。なぜならB先生との治療状況においては、パフォーマンス状況を作り出すことは恐れを抱かせるものではないからだ。あえて言えばむしろ照れくさいもの、違和感を覚えるようなものだからである。
B先生はこんな提案をした。「ここではどんなことを話してもいい、という状況は同じですが、ここであなたの手の震えそのものに付いても目を向けてみませんか。」
そしてまずAさんに、治療室で練習できるような課題を考えてもらった。Aさんはそんなことを提案されたことがなかったので、少し当惑した。そこでB先生は手助けをして、一緒にその課題を考え、Aさんは面接中にコーヒーカップに入れた水を飲みながら話す、という課題を考えることで落ちついた。B先生はそれに合意し、ちょうどそれに使えるようなコーヒーカップをクリニックのキッチンから借りて来ることが出来た。B先生はクリニックの給湯室にあったインスタントコーヒーを二人分淹れて、カップの8分目くらいになるくらいに注いでAさんに渡す。セッションはオフィスにあるデスクをはさんで行うことにした。こうすることでAさんもB先生もカップを目の前におくことが出来る。
B先生は言う。「おそらくこんな状況はAさんが体験したことがないと思いますよ。」それに対してAさんは言う。「でも先生、これが結構あるから困るんです。最近では気の置けない友達と喫茶店でお茶を飲むことも出来ないんですよ。仕事に関係するミーティングなどで飲み物が出てもほとんど手をつけることが出来ません。」「そこが違うんですよ」、とB先生はにっこり。「Aさんはご自分が手が震えるのが怖いということを、友達にさえもおっしゃっていないんでしょう?仕事の関係のミーティングではなおさらですよね。でもここでは治療者である私はそれを知っています。私の前では、手の震えを隠す必要はないわけです。むしろどのように震えるか、自分の手の震えを『真似して』みてくれてもいいんですよ。」
手が震えるという訴えの40代前半の女性Aさんの話であった。B先生はCBT(認知行動療法)的な要素を取り入れようとしていた。あの有名なCBT、保険の点数にも加えられることになった治療法である。精神分析的なオリエンテーションを持つB先生にとっては、CBTはいわばライバルのような治療法である。しかしそのような手法もAさんには必要だと考えていた。しかしB先生のCBTの導入の仕方は、やはりどこか「精神分析的」であった。
B先生のCBTの導入は、ある意味ではごく自然な発想に基づくものであった。それは治療状況で「手が震えやすい環境」を作り出し、Aさんにそれに慣れる練習を一緒にしよう、という提案だった。これまでの私の説明では、治療環境は、それが安定したものであればあるほど、対人恐怖を起こす可能性のある「パフォーマンス状況」がおきにくいということであった。しかし、だからこそ治療状況は手の震えを再現するのに最適なのである。なぜならB先生との治療状況においては、パフォーマンス状況を作り出すことは恐れを抱かせるものではないからだ。あえて言えばむしろ照れくさいもの、違和感を覚えるようなものだからである。
B先生はこんな提案をした。「ここではどんなことを話してもいい、という状況は同じですが、ここであなたの手の震えそのものに付いても目を向けてみませんか。」
そしてまずAさんに、治療室で練習できるような課題を考えてもらった。Aさんはそんなことを提案されたことがなかったので、少し当惑した。そこでB先生は手助けをして、一緒にその課題を考え、Aさんは面接中にコーヒーカップに入れた水を飲みながら話す、という課題を考えることで落ちついた。B先生はそれに合意し、ちょうどそれに使えるようなコーヒーカップをクリニックのキッチンから借りて来ることが出来た。B先生はクリニックの給湯室にあったインスタントコーヒーを二人分淹れて、カップの8分目くらいになるくらいに注いでAさんに渡す。セッションはオフィスにあるデスクをはさんで行うことにした。こうすることでAさんもB先生もカップを目の前におくことが出来る。
B先生は言う。「おそらくこんな状況はAさんが体験したことがないと思いますよ。」それに対してAさんは言う。「でも先生、これが結構あるから困るんです。最近では気の置けない友達と喫茶店でお茶を飲むことも出来ないんですよ。仕事に関係するミーティングなどで飲み物が出てもほとんど手をつけることが出来ません。」「そこが違うんですよ」、とB先生はにっこり。「Aさんはご自分が手が震えるのが怖いということを、友達にさえもおっしゃっていないんでしょう?仕事の関係のミーティングではなおさらですよね。でもここでは治療者である私はそれを知っています。私の前では、手の震えを隠す必要はないわけです。むしろどのように震えるか、自分の手の震えを『真似して』みてくれてもいいんですよ。」
2011年3月16日水曜日
「東北関東大震災」の爪跡(4)
ここ数日を暗い気分で過ごしている。いつ来るとも知れぬ余震。そして原発に関する不安。どうして1号機から4号機までやられるの?スリーマイル島の事件でも一基だけだったのに。でも原発全体が浸水するなんてことが起きたことはきっと初めてなのだろう。だから1号機から6号機までの全てに異常が生じてしまったのだろう。
そもそも果たして原発は安全なのか?厳密な意味で安全なはずではない。というより厳密な意味では三陸海岸沿いに住んでいる事自体が決して安全ではないということがこの津波でわかったことになる。それにもし関東を大地震が襲って東京都民に多くの犠牲者が出たとしたら、東京に住んでいること自体が危険行為だったということになる。考え出すとなにもかも安全性の保証のあるものはない。車に乗る事自体、道を歩いている事自体常に交通事故のリスクを背負っていることになる。実は地球上に住んでいること自体危険だということになる。
それでも私達が毎日平気で生きていられるのは、そのリスクがあまりに少ないので、心のなかでそれをないものにしてしまっていられるからだ。普段は無視しているその危険を、災害にあった際などにはいちいち意識し始めることになる。だからそれが慢性的な不安となって表れる。ということは私達の日常は、いかに危険を否認することで成立しているか、というわけだ。
今日気がついたこと。テレビで震災以来初めてバラエティー番組を見かけた。お笑い芸人も遠慮がちに出ていた。それと震災以来、コンビニの棚に菓子パンの類が並んでいるのを初めて見た。まだほとんど売り切れ状態に近かったが。巷では人は水やティッシュペーパーなどの買い占めに走っていると聞く。さすがにそれをやる気になれない。被災者に何もしてあげられないのだから、そんなセコい事をすると益々後ろめたくなるではないか。
神さんは、チビさえいなければ東北地方にボランティアに行きたいのに、と言っている。ちなみに個人のボランティアは足手まといになるだけだということも十分分かっているようだ。私は東京で診療がある以上、それが自分の本分だと思っているが、やはり後ろめたい。だから神さんの節電の努力には協力している。ウチは夜はいつも真っ暗である。
そもそも果たして原発は安全なのか?厳密な意味で安全なはずではない。というより厳密な意味では三陸海岸沿いに住んでいる事自体が決して安全ではないということがこの津波でわかったことになる。それにもし関東を大地震が襲って東京都民に多くの犠牲者が出たとしたら、東京に住んでいること自体が危険行為だったということになる。考え出すとなにもかも安全性の保証のあるものはない。車に乗る事自体、道を歩いている事自体常に交通事故のリスクを背負っていることになる。実は地球上に住んでいること自体危険だということになる。
それでも私達が毎日平気で生きていられるのは、そのリスクがあまりに少ないので、心のなかでそれをないものにしてしまっていられるからだ。普段は無視しているその危険を、災害にあった際などにはいちいち意識し始めることになる。だからそれが慢性的な不安となって表れる。ということは私達の日常は、いかに危険を否認することで成立しているか、というわけだ。
今日気がついたこと。テレビで震災以来初めてバラエティー番組を見かけた。お笑い芸人も遠慮がちに出ていた。それと震災以来、コンビニの棚に菓子パンの類が並んでいるのを初めて見た。まだほとんど売り切れ状態に近かったが。巷では人は水やティッシュペーパーなどの買い占めに走っていると聞く。さすがにそれをやる気になれない。被災者に何もしてあげられないのだから、そんなセコい事をすると益々後ろめたくなるではないか。
神さんは、チビさえいなければ東北地方にボランティアに行きたいのに、と言っている。ちなみに個人のボランティアは足手まといになるだけだということも十分分かっているようだ。私は東京で診療がある以上、それが自分の本分だと思っているが、やはり後ろめたい。だから神さんの節電の努力には協力している。ウチは夜はいつも真っ暗である。
2011年3月15日火曜日
「東北関東大震災」の爪跡(3)
昨日の夕刻は東北地方の被災者に関して次々と報じられるニュースに暗澹たる思いになった。一緒にニュースを見ている神さん(ママ)は泣き通しで、食事ものどに通らなくなっている。私は涙が出るまでは行かなかったが、これに思い入れたら気持ちが暗くなって大変なことになる、と思って我慢している。直視しようとしていないからだ。町の人口の半数以上が消えてしまうという事態。陣頭指揮を取るはずの町長が行方不明の事態。もともと100年に一度津波が押し寄せてきて押し流される場所に、でも人は住み続けた。これは人の側の責任なのだろうか?
他方福島県の原発の報道も目が離せない。刻一刻事態が推移して、いつ余震があるか、という不安と似たような性質の重圧になっている。
昨日は枝野さんの話をした。今日はこんなニュースだ。(サンケイニュース、Web版)
「菅直人首相は15日午前、東京・内幸町の東京電力本社を訪ね、福島第1原発の爆発事故の連絡が遅れたことについて「一体どうなっているんだ」と強く批判した。・・・首相は「テレビで爆発が放映されているのに、首相官邸には1時間くらい連絡がなかった」と東電の対応に苦言を示した。さらに「撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい。撤退したときには東電は100%つぶれる」と厳命した。」
なんら具体性のない、威嚇にしか過ぎない発言。「覚悟を決めて欲しい」、とはどういうことだ?「撤退したときには」とはどういう意味だろう? 「東電は100%つぶれる」とは?東電がつぶれるつぶれないという問題では今はないはずだ。人命の問題なのだろう。それなのに自分にきちんと報告がないことで激怒する首相。報告がない何らかの事情があることを察して、自分から連絡を入れればいいのではないか?神さん(ママ)も言っていた。菅さんの話を聞いていると不安になる。枝野さんの話なら落ち着く、と。
ところで石原さんも失言。 「石原知事は14日、『日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う』と述べた。」 石原さん、何考えてんの?彼と菅さんを一緒にしたくはないが・・・・・・。
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他方福島県の原発の報道も目が離せない。刻一刻事態が推移して、いつ余震があるか、という不安と似たような性質の重圧になっている。
昨日は枝野さんの話をした。今日はこんなニュースだ。(サンケイニュース、Web版)
「菅直人首相は15日午前、東京・内幸町の東京電力本社を訪ね、福島第1原発の爆発事故の連絡が遅れたことについて「一体どうなっているんだ」と強く批判した。・・・首相は「テレビで爆発が放映されているのに、首相官邸には1時間くらい連絡がなかった」と東電の対応に苦言を示した。さらに「撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい。撤退したときには東電は100%つぶれる」と厳命した。」
なんら具体性のない、威嚇にしか過ぎない発言。「覚悟を決めて欲しい」、とはどういうことだ?「撤退したときには」とはどういう意味だろう? 「東電は100%つぶれる」とは?東電がつぶれるつぶれないという問題では今はないはずだ。人命の問題なのだろう。それなのに自分にきちんと報告がないことで激怒する首相。報告がない何らかの事情があることを察して、自分から連絡を入れればいいのではないか?神さん(ママ)も言っていた。菅さんの話を聞いていると不安になる。枝野さんの話なら落ち着く、と。
ところで石原さんも失言。 「石原知事は14日、『日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う』と述べた。」 石原さん、何考えてんの?彼と菅さんを一緒にしたくはないが・・・・・・。
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2011年3月14日月曜日
「東北関東大震災」の爪跡(2)
昨日までは、新聞のテレビ欄はあって無きが如し、という感じで、どのチャンネルも示し合わせたように、結局コマーシャル抜きの地震関連の報道だった。しかし今日起きてみたら、テレビはすこし「普通に戻って」いた。5時半にいつものように6チャンネルをつけると、みのさんの「朝ズバ」をやっていた。コマーシャルもちゃんと流される。フーン、こういう風に日常に戻るのか、と少し感心したと同時に少し安心。こんなどうでもいいことでも、見慣れたものが戻ると安心するものである。しかし今度は輪番制の停電とかで、朝から千葉駅のシャッターが下りている、とか京成電鉄が運転を「見合わせる」とか言うニュースである。これで大混乱。そして結局停電の方は混乱を招く、とかいうことでいまだに決行されていない。(混乱を招くなんて、最初からわかっていたじゃん!)ここら辺、東電や政府の対応を批判すればきりはないけれど、難しいんだろうな。でもある意味では電気というライフラインが止まることで、マグニチュード7の余震が襲ったのと同じくらいの混乱や同様を庶民は体験しているのも事実。
今日の午前中は、「福島第一原発3号機で水素爆発」でひと騒ぎあった。本当に恐ろしい。一歩間違えれば、チェルノブイリの悪夢である。原子力発電ということの危険性について根本的に考え直さなくてはならないだろう。もうひとつ午前中の余震で津波が来るのではないかという報道もあり、これも不安をあおった。
ところで枝野官房長官のブリーフィングを見ながら、一人で感心している。彼が総理の「器」があるかどうかは知らないが、こういう人は総理の職にある意味では適任ではないかと思う。(少なくとも過去約数名の方々よりは。)きわめてわかりやすい解説。適切な言葉を使った記者への対応。昨日は菅さんが声明を発表した後すぐひっこんだ後に、枝野さんが自分の言葉で、という感じでブリーフィングし、しっかり菅さんをサポートし、最後まで質問に答えた。その態度は淡々とし、冷静沈着、奇をてらったところはなく、とにかく情報をわかりやすく、的確に伝えることに専念しているという感じ。聞いていて安心する。こういう人に任せたら、これまで二世議員たち(阿部さん、福田さん、麻生さん、鳩山さん・・・・)と菅さんが起こしていたような舌禍事件を回避してそつなく総理大臣の仕事を進めることが出来るのではないか?枝野さんには、他の総理に見られたような邪念があまり感じられない。もちろんいろいろ野心とか猜疑心とかはあるのだろうが、目の前の仕事にはとりあえず持ち込んでない、という印象あり。やはり一番いけないのは邪念だね。何事も。
それにしても枝野さんて、いい意味で優秀そう。学生時代は「また枝野君が模試で一番か・・・」とか言われていたことを想像する。枝野さんを私はほめすぎか?いや彼をほめているというよりは、彼は普通であり、これまでの何代かの総理たちがいかに普通でなく不適格か、と言いたいだけなのだが。あるいは「普通のおじさん」レベルでは総理の職は無理、ということか・・・・・。
相変わらず題に比べて内容のないブログ。「どこが爪跡じゃ?」
今日の午前中は、「福島第一原発3号機で水素爆発」でひと騒ぎあった。本当に恐ろしい。一歩間違えれば、チェルノブイリの悪夢である。原子力発電ということの危険性について根本的に考え直さなくてはならないだろう。もうひとつ午前中の余震で津波が来るのではないかという報道もあり、これも不安をあおった。
ところで枝野官房長官のブリーフィングを見ながら、一人で感心している。彼が総理の「器」があるかどうかは知らないが、こういう人は総理の職にある意味では適任ではないかと思う。(少なくとも過去約数名の方々よりは。)きわめてわかりやすい解説。適切な言葉を使った記者への対応。昨日は菅さんが声明を発表した後すぐひっこんだ後に、枝野さんが自分の言葉で、という感じでブリーフィングし、しっかり菅さんをサポートし、最後まで質問に答えた。その態度は淡々とし、冷静沈着、奇をてらったところはなく、とにかく情報をわかりやすく、的確に伝えることに専念しているという感じ。聞いていて安心する。こういう人に任せたら、これまで二世議員たち(阿部さん、福田さん、麻生さん、鳩山さん・・・・)と菅さんが起こしていたような舌禍事件を回避してそつなく総理大臣の仕事を進めることが出来るのではないか?枝野さんには、他の総理に見られたような邪念があまり感じられない。もちろんいろいろ野心とか猜疑心とかはあるのだろうが、目の前の仕事にはとりあえず持ち込んでない、という印象あり。やはり一番いけないのは邪念だね。何事も。
それにしても枝野さんて、いい意味で優秀そう。学生時代は「また枝野君が模試で一番か・・・」とか言われていたことを想像する。枝野さんを私はほめすぎか?いや彼をほめているというよりは、彼は普通であり、これまでの何代かの総理たちがいかに普通でなく不適格か、と言いたいだけなのだが。あるいは「普通のおじさん」レベルでは総理の職は無理、ということか・・・・・。
相変わらず題に比べて内容のないブログ。「どこが爪跡じゃ?」
2011年3月13日日曜日
「東北関東大震災」の爪跡 (1)
という題でしばらく書いていくしかないのだろうか? 今はちょうど日曜(3月13日)の正午だが、さっき民放で「はじめて」コマーシャルを聞いた。というのも金曜(3月11日)の午後の震災以降、テレビはずっとどの局もコマーシャルなしの震災関係の報道だからだ。はじめは固唾を飲んでNHKを見守っていたが、当然ながら同じ映像を繰り返し流す。少し変わった報道も聞きたいと別の局にもチャンネルを回すのであるが、結局はそこでも同じ映像を流し続ける。そのうち不謹慎な話だが「もう見たくない」という気持ちになってくる。ところがそう考えることは「実際に被災した人々に申し訳ない」という気持ちにもなり、ニュースを見ないことも許されないという気にもなるのだ。
やはりおとといから日常が失われたという感じはある。他のことが手につかない。いつまでも緊張が続いている。一つの原因は、この余震なのだろう。いつまでも続いている。いつ終わるかもわからない。いつ、あれほど都民が恐れている東京大震災に繋がるのかもわからないのではないかと思ってしまう。東京湾は津波の被害は少ないと言われていても、東京湾に近いところに住んでいる人たちは決して心地よくはないだろうし、都内でも高台に引っ越そうと考える人がいてもおかしくないだろう。
このブログも対人恐怖について書いていたが、今はそれどころではないという感じ。Kairiken のMKで岩井圭司先生が、「不謹慎とは思うが、どこか民放でお笑いでもやって欲しい」と言っていたが、たしかにそう思うだけでも不謹慎と感じるのがわれわれの自然な反応なのだろう。国全体が喪に服しているようだ。
こんな時、人はわけの分からない思考をするようだ。私の例。「東北関東大震災」という名称が付けられたことについて。安心した。「関東」も入れてもらったおかげで、恐れていた震災はもう終わったのだ、と。もう心配しなくていい、と。(おそらく地震学的には根拠がないだろう。)またこのような形で震災を体験したことで、少なくともこの震災についての話が出た時に、少なくとも自分は部外者である、と感じなくていい、その意味でこれも「幸運」であった。(それでいて自分はまったく無傷に帰宅したことには、依然として後ろめたい感じがしているのだ。しかし1995年の阪神淡路大震災の際は、私はアメリカにいたので、同じトラウマ臨床の仲間がそれについて話すときに、なんとなく後ろめたさを感じていた。その時よりは、日本の歴史の一つを国民として体験したという事は言える。)
今回のこの大震災、先ほど修正されたのはマグニチュード9.0という。地球規模でも最大級の地震という。しかもこれから3日間にマグニチュード7.0以上の余震が起きる確立が70%だという。これではむしろ緊張が続いているのは当たり前ということだろう。
やはりおとといから日常が失われたという感じはある。他のことが手につかない。いつまでも緊張が続いている。一つの原因は、この余震なのだろう。いつまでも続いている。いつ終わるかもわからない。いつ、あれほど都民が恐れている東京大震災に繋がるのかもわからないのではないかと思ってしまう。東京湾は津波の被害は少ないと言われていても、東京湾に近いところに住んでいる人たちは決して心地よくはないだろうし、都内でも高台に引っ越そうと考える人がいてもおかしくないだろう。
このブログも対人恐怖について書いていたが、今はそれどころではないという感じ。Kairiken のMKで岩井圭司先生が、「不謹慎とは思うが、どこか民放でお笑いでもやって欲しい」と言っていたが、たしかにそう思うだけでも不謹慎と感じるのがわれわれの自然な反応なのだろう。国全体が喪に服しているようだ。
こんな時、人はわけの分からない思考をするようだ。私の例。「東北関東大震災」という名称が付けられたことについて。安心した。「関東」も入れてもらったおかげで、恐れていた震災はもう終わったのだ、と。もう心配しなくていい、と。(おそらく地震学的には根拠がないだろう。)またこのような形で震災を体験したことで、少なくともこの震災についての話が出た時に、少なくとも自分は部外者である、と感じなくていい、その意味でこれも「幸運」であった。(それでいて自分はまったく無傷に帰宅したことには、依然として後ろめたい感じがしているのだ。しかし1995年の阪神淡路大震災の際は、私はアメリカにいたので、同じトラウマ臨床の仲間がそれについて話すときに、なんとなく後ろめたさを感じていた。その時よりは、日本の歴史の一つを国民として体験したという事は言える。)
今回のこの大震災、先ほど修正されたのはマグニチュード9.0という。地球規模でも最大級の地震という。しかもこれから3日間にマグニチュード7.0以上の余震が起きる確立が70%だという。これではむしろ緊張が続いているのは当たり前ということだろう。
2011年3月12日土曜日
地震お見舞い
もしこのブログに、公的に私の意見を述べるという性質があるなら、ここで自身の被害にあった方々にお見舞いを申し上げたい。私は昨日は地震のあったときは診察中であったが、不思議と動揺はなかった。東京大地震をいつも考えているせいか、「今回もそうではなかったか・・・・」と一応は安心したが、揺れかたは長周期でずいぶん長く続いた。病院のロビーのテレビで、東北地方が進言と聞いて、これは相当大きい物が襲ったのだろうと知り、その被害の甚大さを思ったわけである。病院が都心にあり、しかも交通機関は全て止まり、間もなく帰宅時期になり、大きな通りは人人人・・・であった。私は歩いて45分くらいの距離を歩き出し、途中で迎えに来てもらった神さんの車に乗ったが、全然進まず、1時間近くかかって帰宅した。関西にいる息子にも、千葉の両親にも電話は通じず、ただただインターネットやメールは快調に使えた。インターネットは世界をカバーしている通信網なので、一地方の災害によっては影響を受けがたいというレジリエンスを感じた。
私にとっては今回の災害に一番近い体験が、2001年のニューヨークのテロ攻撃(9月11日)であった。私はアメリカ「本国」のトピーカという小さな町にいたが、そこで一番高いビル(と行っても10階くらい、全然大したことはない)にも飛行機が突っ込むのではないかと、皆が心配した(このことはどこかに書いた気がする)が、国がひとつの事件で機能を半ば停止してしまった体験としては今回に似ている。
とにかく今回の災害でなくなった方、被害を受けた方にお見舞いの気持ちを表明したい。
私にとっては今回の災害に一番近い体験が、2001年のニューヨークのテロ攻撃(9月11日)であった。私はアメリカ「本国」のトピーカという小さな町にいたが、そこで一番高いビル(と行っても10階くらい、全然大したことはない)にも飛行機が突っ込むのではないかと、皆が心配した(このことはどこかに書いた気がする)が、国がひとつの事件で機能を半ば停止してしまった体験としては今回に似ている。
とにかく今回の災害でなくなった方、被害を受けた方にお見舞いの気持ちを表明したい。
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