ということで山崎論文「週一回とは何か?」について。彼の文章を読むとよい書き手であり、読みやすい文章を書く人であることがわかる。彼のこの論文で、「週一回」の議論の流れがよくわかる。少しまとめるつもりで読もう。もうこうなると書評の上限1200字はどうでもいい。
この週一回の議論、実は歴史は浅いので、いろいろな議論をまとめることは難しくない。この議論の中で山崎が重視するのが、高野の「近似仮説」である。藤山の平行移動仮説は、「週一は週4とは違うよ、分析じゃないよ」と素っ気ないことを述べているが、高野は両者は似たところがある、という主張なので、すこしでも精神分析的なところを模索したい「週1回」よりはまだ希望が持てるようだ。
さて山崎氏の論文は平行移動仮説を否定していることが特徴だ。つまり藤山説を受け入れて、ある意味では白旗をあげているわけである。そして、週一は分析的にはやれないなら、どうやって有益なものにするか、という議論の展開をする。そしてこちらは近似仮説を用いるという。ここら辺を読むと微妙なニュアンスだが、藤山説のように伝統的な精神分析理論はあてはめられないが、精神分析「らしき」ことはできることに望みをつないでいるようである。そう、その調子!そして結局は分析的でないことへの後ろめたさを語っているという。そして導入するのが、
【分析的】心理療法と、分析的【心理療法】との違いだ。少しややこしいので、前者を「分析的」後者を「心理療法」としよう。この後者はあえて分析的なやり方をしない(無意識、転移を扱わない)という意味で、支持療法的であり、これがいわゆるPOSTというわけだ。だったら「分析的」は分析的であることをと捨てない週1ということになり、これはどうなるのか。ややこしいところだ。