2021年9月4日土曜日

アメリカ人 5

 アメリカ人は贈り物をしない

患者さんからの贈り物は、医師にとってとても微妙な問題である。もらうべきか貰わざるべきか。もちろん「医師や医療スタッフは患者様からのものは一切受け取りません」という断り書きを掲げている病院もある。それはそれで立派なポリシーである。ただその様な但し書きの存在が、かえって患者からの贈り物が頻繁に起き、時には問題とされるという事情を伝えている様子である。

私が言語道断だと思うのは、例えば病院で手術を受ける時、執刀医に謝礼を支払うという習慣。あるいはこれはアカデミズムの分野ではあるが、どこかの大学のどこかの学部では、博士論文が受理された場合に、執筆者は主査の先生にかなりの額の謝礼を支払うというもの。こんなことが実際にあるのかと思うことが、実はよく起きているらしい。しかし経済的な負担が少なかったり、ほとんどなかったりする贈り物の習慣は、日本の文化にもなっている。

私が日本は贈り物文化と言われるわけが分かったのは、アメリカ体験である。いやもう少し正確に言うと、日本に帰ってきて、アメリカとの差を実感した時、と言うべきだろう。というのも米国で臨床をしていた17年間というもの、患者さんから贈り物をされるという体験はほぼ皆無と言ってもいいだろう。

私がこの贈り物という微妙な問題をここで比較的にオープンに書けるとしたら、そもそも贈り物をされたらどうしよう、という懸念が全く存在しないアメリカでの体験を書けばいいと思うからである。とはいえ、私はアメリカの中央平原の比較的小さな町での体験であり、しかも十数年前のことである。今ではアメリカの贈り物事情が大きく変わっているかもしれないし、ニューヨークやロサンゼルスなどでは全く違った文化があるかもしれないというのはお断りしておかなくてはならないが。ともかくも医師と患者とはもともとドライで贈り物などというものが介在しないものと思っていた。そして2004年に帰国して臨床を初めて{あれ?なんだこの違いは?」となったのである。

ところでもし私がざっくばらんに話が出来るような米国の患者さんに「どうしてアメリカでは患者が医師にお土産を渡すという事があり得ないんでしょうね?」と尋ねたとしたら、私は次のような答えが返ってくることを想像する。「だって高いお金を払って外来に来ているんですよ。まあ私の場合は保険ですが、それでも掛け金はバカになりません。その上にドクターにお土産なんてどこからそんな発想が湧くもんですか?」私は半分はアメリカ人の感覚が入っているので、「そりゃそうだよね・・・・」となる。そしてこれもアメリカの文化を反映しているような気がするのだ。必要もないものにお金を使わない、という非常に分かりやすい合理主義だ。それに患者の側はむしろ「医療過誤を起こされたら訴えるぞ!」というスタンスかも知れない。その相手にプレゼントという発想はさすがに浮かばないのだろう。

 ではアメリカ人と違って日本の実情はどうなのか、という話になる。 日本の診療所などでは患者さん自身や、その家族がお菓子を「スタッフさんでどうぞ」と持っていらっしゃることが多い。ちょうどお中元やお歳暮の時期がそれに重なることが多い。これは受け取るかどうかは別としてよくあるパターンである。スタッフとしても、自分一人が貰ったものではないという気持ちもあり、後ろめたさが軽減されるらしい。私は帰国してからは色々な医療現場を経験したが、この種の多少なりとも儀礼的な贈り物を一切受け取らないという体験をほとんど持っていない。

私が興味を持つのは、医師のオフィスで患者さんが「何気なくくれる」贈り物である。金銭的にはわずかなものだが、気持ちの入ったもの。これは人間関係の潤滑油的な意味を持つことも少なくない気がする。

例えば次のようなことはいかにも起こりそうだ。以下は実話ではなく、全くの私の空想上の話だと思っていただきたい。私のある患者Aさんが「先生、これあげる。お昼にどうぞ。」と言ってコンビニで見つけた新製品の菓子パンをくださる。値段にして150円程度だろうか。もちろんコンビニで菓子パンの新製品をチェックする習慣のない私にとっては、見たこともない、でもおいしそう、と言うか面白そうなパンだ。私自身は「はい、いただきます」とすぐにはならないかも知れないが、甘いもの好きな私は目の保養にするだけだ。そしてどこか嬉しい。(ここが大事なポイントである。)

このファンタジーの中では、私は結局Aさんのパンを断らない。でも少し戸惑って、オフィスの棚に置いておく。すると後にいらした患者Bさんが「お腹が空いたなあ、あ、何それ?」と見つける。「いただき物だけと、食べる?」 「うん!やったー。ちょうどお腹空いていたんだ!」として受け取ってくれる。(というかそういうノリの人だと知っているから勧める。)

  他愛もない、日常臨床の一コマとして起きるかもしれないファンタジーを書いたわけだが、この種の和やかさはアメリカの患者さんと体験したことはなかった気がする。

ちなみにアメリカで例えば私が患者の立場で、かかりつけの顔見知りの内科医ドクターCに日本の小さなお土産を渡したとしたらどうなるか?正確にこのような状況ではないが、似た体験を話そう。その反応はアメリカ人に典型的だった。まず彼hは差し出されたお土産を見て、信じられない、という顔をする。そもそも患者は医師にはお土産は渡さないから当然だ。そして「本当に? Really?」と確かめる。そして私が「ハイ、差し上げますよ」ともう一度言うと、「有難う!Thank you!」と言ってあっという間に受け取ってしまうのだ。そこに遠慮とかは介在しない。「え、くれるの?ラッキー!でもいったいどうして?」という心の声が聞こえてくるのだ。

けっきょく贈り物をしない社会アメリカは、贈り物を受け取らない社会とは違う、という事を私は言いたいわけだが、ここにアメリカ文化の微妙なニュアンスを伝えらえたら、と思う。要するにそこには、あげる側の遠慮や戸惑い、受け取る側のためらい、嬉しさといった一連の気持ちの交流が、かなり省略されてしまう文化があるのである。