河合隼雄が多重人格について述べているいくつかの論考がとても参考になる。著書のコピーからOCR認識で文章化してみたが、あちこちに文字化けがありそうだ。しかしあえてこのままで紹介しておく。原典は『精神療法』一巻六号、1995年12月、金剛出版刊 である.
内界の人物像と多重人格 河合隼雄
二重人格より多重人格へ
最近アメリカにおいて多重人格の症例の多発が報告されている。それも十六重人格とか、まったく考えられないほど多くの多重人格が出現する。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、深層心理学が急激な発展を遂げたときに、多くの二重人格の症例が発表された。当時、自分自身も症例を発表しているピュール・ジャネは、百例をこえる程度の発表があったと述べている。
カール・ユングも早くから二重人格の現象に注目していたが、そのような現象を単に「病的」とか「異常」とかの観点から見るのではなく、二重人格として生じるものは、新しい人格の発展の可能性が何らかの特殊な事情によって妨害され、その結果として障害が生じていると見ようとしたところが特徴的である。彼が一九〇二年に発表した博士論文に、つとにこのような考えを指摘しているのは注目に値する。二重人格や夢中遊行のなかに「目的をもった意味」を見出そうとしたのである。
今世紀はじめに多くの二重人格の症例が発表され、それもだんだん少なくなってきた頃、 一九五七年にセグペンとクレツクレーによって『イヴの三つの顔』という題で劇的な症例が発表された。これはイヴ・ホワイトと名づけられる第一人格に対して、それとまったく逆の性格をもつ第二人格のイヴ・ブラックが存在する症例である。これは治療経過の詳細が報告されている点もあって多くの人によく読まれ、映画化されたりもした。以上のような今世紀前半までによく出現した二重人格は、ユングによる「影」(shadow)の考えによって説明すると、わかりやすいと思われる。ユングはもともと夢分析の実際経験から、この考えをもつようになった。つまり、夢分析をはじめると、夢を見る人と同性で、何らかの意味で本人と性格が反対の傾向をもつ人物が現われ、その人物との関係から得るところがある、という夢を見ることが多いことに気がついた。ユングは、そのような人物像を shadow image と名づけ、各人は夢の分析を通じて、自分の shadow の存在の realization(何らかの実現を通じての体験的認知)に努めることが必要であると考えた。ところが、ある人にとって、このような shadow の realization の道がまったく閉ざされ、一面的な堅い人格ができあがってしまうと、shadow も一個の人格として機能しはじめて、時には第一人格と入れ代わるようなことが生じるのではないか、と考えられる。これは自我によるきわめて強い抑圧の結果である。二重人格の症例は今世紀の後半になって少なくなり、きわめて稀なことになった。ところが、最近になって急に多重人格の症例がアメリカで発表されるようになった。これは、しかし、先に述べた二重人格とは異なる心的メカニズムをもつものと考えられる。その一番大きい点は、多重人格のなかに異性が含まれる、ということである。たとえば、十六重人格のシビルの場合、第一人格は女性であるが、その多重人格のなかに、マイクとシドという二人の男性が含まれている。治療者はマイクとシドに向かって、彼らの身体が女性の身体であり、男性とは異なることを一所懸命に説得しようとするが、二人とも承服しない。そのうちに変わってくると主張している。
このことを報告して著者は、「彼女の例が性差の境界を超えて反対の性の人格を発生させた唯一の多重人格だ」と述べているが、その後の多重人格においては、異性も生じることが報告されている。つまり、これまでの二重人格とは異なる現象が生じたのである。
現在において多発している多重人格は、抑圧よりも分裂 splitting の機制によるものであると考えられる。アメリカに行ったとき、多重人格の症例を聞く機会があつたが、その生活史を見ると、性的虐待などあまりにも強い心理的プレツシヤーがあり、 一個の人格として存続し続けることが不可能のように感じられた。そんなときに、splitting の機制によって、何とかその重圧を逃れて生きてきたと考えられる、したがつて、二重人格のような、自と黒、善と悪といった類の対比はそれほど鮮明ではなく、それぞれの人格が状況に応じて出現してきている、という印象を受ける。
夢のなかの人物
人間は毎晩夢を見る。そのなかに実に多くの人物が登場する。と言っても、人間は夢をすべて記憶するのではないから、夢を見ないと言う人もあるが、最近の夢に関する研究から考えて、すべての人が夢体験をしていると推論していいだろう。それは人間が生きていく上で必要であるようだ。夢には、時にまったく思いがけない人物が登場する。日常的には忘れ去っている小学校の同級生が登場し、話し合ったりする。あるいは、父親だと思って話し合っているうちに、父親が友人に変わっていたり、極端な場合は、人間ではない事物になったりする。それは椅子なのだが、それが「父親」であることはわかつており、夢のなかでは何ら不思議に思わない。それと、非常に大切なことは、夢のなかの人物は、それぞれの自立性をはっきりと持っていることである。自分が考え出した話であれば、そのなかの人物を自分の考えで動かすことができる。
しかし、夢では一般にそうはいかない。相手が何を考え、何をするかはまったく予想がつかない。しかし、それは自分の夢なのである。
夢のなかで体験するもうひとつの非常に大切なことは、自分自身が他人や他の事物になりながら、それを自分であるとはっきり認識している現象である。夢のなかでは異性になることもある。あるいは、動物や事物になるときもある。つまり、「私」という存在は、通常に考えているよりも、はるかにあやふやなものなのである。あるいは、夢のなかでは、自分が「もう一人の私」に会うこともある。自分が自分に出会うのである。自分は一人ではなく、もう一人いるのだ。
以上のような夢は必ずしも「異常」とは言い難い。稀ではあるが、ともかく健常者の夢に生じてくる。その夢によって「異常」になる、というのではない。つまり、人間の内界においては、いろいろな人物がいろいろと不思議なドラマを演じており、そのなかでは人物や事物の同一性が比較的保たれていないのである。これは、現実生活において、われわれが「同一律」を非常に大切にして生きているのと好対照をなしている。おそらく、このような世界によって支えられないと、われわれの日常生活は成立しないのであろう。
夢のなかの人物と外界の人物はどのように関係するのだろうか。これは時に不思議な一致を見せる。たとえば、夢のなかで人物Aが死ぬと、Aが実際に死んだり、Aの訪間を夢のなかで受けると、それがそのまま翌日の現実になったりする。このようなことは、一般に稀である。とすると、夢のなかの人物は、いったい誰なのか。端的に言えば、夢を見た人の何かである。私が残酷な人物Xについて夢を見るとき、それは私のなかのXを示している。というより、Xは私のなかに生きている、というべきである。「私にも残酷なところがあるなあ」と考えるのではなく、「残酷な人間が生きている、住んでいる」しかもそれは「私の支配に屈しない自律性をもっていると考えるべきである。
このように考えると、一個の人間として同一性を保持し、この世に生きているということの大変さがよく認識できる.
しかし、実はこれは「私」一個の力ではない。そんなことは不可能である。実は他の人々の協力によってそれはできているのだ。他の人々が私に対してもつ期待、信頼、拒否、その他もろもろのものの総和のなかで、ある程度の一貫性をそなえた「私」というのがつくられているのだ。言うなれば、そのような「私」を保持するために、人間は相当な無理をしている。「無理」という表現が気に入らないのなら、「大変な努力」と言ってもいそこで、観点を変えて言うなら、「私」というのを非常に広くとると、夢のなかに出てくる「私」および他の人物すべてが「私」なのだ。それら全体が「私」を構成している。実際に、夢に出てくる人物の一人一人を「私」だとして考えてみることは意味あることだ。しかし、そのように言ってもそれは通常の「自我」(つまり、覚醒時に「私」であると意識し得る存在)から見ると、近いと感じるのと遠いと感じるのがあるのも事実である。
そのときに一般論として、同性よりは異性を遠く感じるものである。この点について、ユングは「影よりもアニマ・アニムスの統合の仕事の方が、はるかに難しい」ことを強調している。アニマ、アニムス像とは異性像のことを指している。
「統合」ということは、確かに困難である。しかし、統合を放棄して各人物像がバラバラに存在しているとすると、これらの内界の人物像が外界に現われて、多重人格になるというのは可能ではなかろうか。たくさんの人物がいるなかで、常に「私」が一貫して出現するのではなく、人が入れ代わって出るとなると多重人格になる。このようなことも考えられるのである。
自我と私
そもそも「私」というのは、いくら考えてもわからない難物である。インドの説話に次のようなのがある。ある旅人が小屋に一人で泊っていると、鬼が死体をかついでやってきた。そこへもう一匹の鬼が来てその死体は自分のものだと言う。そこで二匹の鬼が旅人にどちらが正しいか判断せよという。旅人が最初に来た鬼のものだと言うと、後から来たのが怒って旅人の手をち切って食べてしまう。最初の鬼は死体から手をち切って旅人につけてくれる。ところが怒った鬼は旅人をどんどん解体していくので、最初の鬼はつぎつぎと死体の部分をとってつけてくれる。そして、最後のところでは旅人と死体との「体」はまったく入れ変わってしまった。そこで、旅人は「いったい私は誰だろう」と嘆くのである。
この話の結果はどうなるのか。旅人は「いったい私は誰だろう」という難問を抱いて、坊さんに会いにいくが、その答えは「そもそも『私』などというのは、いろいろな要素が集まって仮にできているのだから、そんなことを心配しなくともいい」というのであった。ここには仏教の教えが端的に示されている。「私」などというのが絶対にあると思うから、人間はいらぬ苦労をする、というわけである。
このような仏教の考えに立つと、多重人格の治療など簡単なものである。いったいどれがほんとうの私でしょうなどと言っても、本来「私」などというのは寄せ集めの仮のものだから、何の心配もいらないわけである。仏教の考えにまったく対照的なのが、近代自我の考えである。「私」というのは全体として考えはじめると上述したようにきわめてあいまいな存在になってくるのだが、デカルトの「我思う故に我在り」という言葉に示されるように、自分が思考していること、意識していることを根拠として、「自我」の存在を明確にし、それを「私」と規定するのが西洋近代の考えである。こうすると、実に多くのことが明確になってくる。「私」の責任、「他人」との関係など。それに何と言っても、このことによって自然科学やテクノロジーが急激に進歩し、その体系化が進む。このためには、自我は自分自身の能動性、単一性、同一性、外界と他人と区別された存在としての自我、を認識していなくてはならない。これによって人類は実に多くの仕事をするようになったが、これを「自然」の方から見ると、途方もない無理をしていることになる。
十九世紀後半においては、このような白我が単純な道徳律に従って、「善」なる自我をつくりあげると、どうしてもそこに無視された「悪」の方が集まって第二人格をつくりやすいという傾向が生じた。フロイトの精神分析をはじめ深層心理学の諸派は、近代西洋のもっとも大切と考えた「自我」に対して「無意識」も考慮に入れることを提唱した。このことは相当に一般に受け入れられて、単純な二重人格の症例は急に少なくなった。
二十世紀の後半になると、とくにアメリカにおいて、子どもの体験するストレスが急増した。このことの第一の原因は、各人が「自我」を大切にしつつ、「自我」と他人の「自我」との結びつきをどのようにもつのがいいのかについて、その配慮に欠けるようになったからである。西洋の自我の成立の背景にはキリスト教という宗教があり、その信仰を保ったまま、自我の確立を行うときは、神を介することによって、個々人の自我は深いつながりをもつことができる。しかし、近代自我の在り方そのものに、キリスト教をそのまま信じ難い点を内包しているところがあって、なかなかそれを両立させていくのは難しい。
信仰抜きで「自我」の確立と発展のみを考えることに、大人が熱心になるとまず被害を受けるのは子どもである(子どものみならず、社会の「弱者」が被害を受けるのだが、ここでは、子どものことのみを考える)。子どもに対する心理的ストレスが極端に高まるなかで、子どもが上記したような「自我」をもとうとするならば、その場面、場面によって異なる「自我」を顕在させる方法によってしか、存続することはできないのではなかろうかこれは二重人格の場合とまったく異なる、こま切れになった分裂の状態である。しかし、分裂病のように自我意識にまで大きい障害を受けるのではなく、おそらくそのことを回避するために、個々の自我はある程度健常に機能しているが、それぞれ別個の人格に分裂することによって、ストレスの直撃を受けぬようにしている、と考えられる。その人間の内界に住む人物を総動員して、事に当たっているということができる.
おそらく日本では、もちろん都市文化のなかで、子どもの虐待や多重人格は発生してくるであろうが、文化差の問題があるので、アメリカほど多発しないのではないか、と筆者は考えている。表層の文化はすぐに変化するが、深層の方は非常にゆっくりと変化していくものである。
新しい「心」の構造
二重人格の現象に対して、ユングはその肯定的な面を見出そうとした。彼がそのときに考えた重要なことは、人間存在の「全体性」ということと「統合」ということであつた。われわれは、彼にならって、多重人格の現象のなかに肯定的な面を見出すことができるであろうか。ユングは単純な道徳観に基づく近代自我のもろさを、二重人格の現象に見出し、その欠点を克服することを現代人の課題と考えた、ということもできるが、われわれが多重人格の現象から学ぶことは、おそらく近代自我からの脱却の必要性ということであろう。すでに述べたこととの関連で言えば、内界に住む多くの人物をすべて「私」と考えるのなら、そのなかで「自我」だけを、あまりに特別扱いするのをやめよう、あるいは、「唯一の自我」に固執するのはやめよう、ということになるのかもしれないと言って、すべての人が「多重人格」をそのまま生きるとなると、社会は混乱し破減するだろう。ユングにしても、すべての人が二重人格者として生きよと言ったのではない。彼は、二重人格として顕現している側面をできる限り第一人格に「統合」することを主張した。このために、彼は常に「悪」の問題について考え続けることになった。
多重人格の場面も、第一人格への「統合」を目指すと考えてよいのだろうか。筆者の考えでは、ここに「統合」ということを持ち出すのは無理がありすぎる。二重人格から多重人格への移行の過程を考えるべきであるし、そもそも、夢のなかで自分は内界の人物たちを「統合」しているかどうかを考えてみて欲しい。内界の人物について考えるのが難しい場合は、外界の人物について考えてみてもいい。誰しも、外界の人すべてを好きとか、すべての人と人生観が同じなどということはないであろう。嫌いな人もいるし、倫理観も相当に異なる人もいる。しかし、人間はうまく共存して生きている。嫌いな人とはなるべくつき合わないようにする、
しかし、必要とあれば慎重につき合う。このように考えると、人間は実にうまく生きている。しかし、そこに「統合」などということはない。うっかり「統合」などを考えはじめたら、争いが起こって仕方がないのではなかろうか。
内界においても同様に考えてはどうであろう。「統合」を考えずに「共存」をはかる。ただ、ここでわかりにくくなるのは、自我が内界のいろいろな人物との共存をはかり、親しくつき合うようになるとき、その人物を外界から見ている人にとって、どれほどの「一貫性」あるいは「アイデンティティ」が感じられるのか、という点である。それは、ほとんど「多重人格」に見えるのではなかろうか。しかし、「多重人格であること」と「ほとんど多重人格に見えること」との間には、重大な差があると言えないだろうか。何だか話が途方もないことになってしまったようだが、もし自分が多重人格の症例に会って治療をするとなると、ここまで考えねばならないように思う。どのようなクライアントにしろ、その人と会うことは自分自身の人生観を揺すぶられることになる。アメリカにおいて多発している多重人格は、われわれが現代に生きる上において、実に重要な問題を提出しているように、筆者には思われる。したがって、文化比較のことにまで筆が及んだりして、話が広がってしまったし、ここに述べたことは、まったくの試論というべきものである。今後この問題をもっと追究していきたいと思っている。