最後に
最後に今日の発表の内容を簡単にまとめておこう。
この発表では、いわゆる支持的療法の現在の立ち位置について述べた。この問題は当センターの皆さんが週一回かそれ以下の頻度の精神療法を日々行っている場合が多いため、それだけ重要な問題であろうと考え、テーマとして選んだものである。
最初にメニンガー・クリニックにおけるPRPについて説明したが、そこではいわゆる表出的な手法よりは支持的なアプローチの有効性が明らかにされたという意味で画期的なものであった。そしてその影響もあり、海外の精神療法の世界では、支持的療法の再評価が進んでいる。そしてそれと同時に起きているのが、精神療法家たちの精神分析離れといった現象である。
しかし今の時代も、少なくとも日本の精神分析の世界では、支持的療法はその評価を十分に与えらえていないという印象を持つ。やはり転移の解釈といった王道が治療的な価値が高いと考えられ、それこそが本物の精神分析であるという、私が「モーセの十戒」と呼んだ考え方が支配的であると言っていいであろう。ただし転移解釈の有効性を否定するような根拠はまだ十分でないとしても、支持的なアプローチの有効性を示す根拠は疑いようがないと言っていい。
私は次に支持療法的な介入の中で、共感に焦点を当てて論じた。しかし共感の重要性を手放しで論じたというわけではなかった。実は共感を私たちが十分にわかっているかどうかには、私はかねてから疑問を持っていたのだ。少なくとも自分ではよくわかっていなかったと思う。そのことをAIとのやり取りで痛感したというのが私の話の後半部分であった。
AIは中立的であるはずだ。なぜなら一切の逆転移を有しない(はずだ)からだ。AIの人の心とのかかわりについて論じる際に、これほど明確なことはないであろう。AIは体験を持てないし、物事を(人間が行うような意味で)理解することはできない。しかし人間の問いかけを「機能的な意味で」理解を行うことが出来、またそれを可能にするような明らかな「知性」を有する。そのAIがなぜ人間との対話で肯定的な言葉を伝え、ポジティブな評価の言葉を投げかけ、しかもここが重要なのだが、なぜ人はそれを作為的、虚言、などとみなすことなく、むしろ有難さを感じつつ受け入れるのであろうか?
この問題に対するアプローチとして私が選んだのは、「いかにAIは優れて共感力を発揮できるのか?」ではなかった。むしろ「なぜ人間がAIのようにできないか?」について論じる事であったのである。そしてそれは私たちが受肉していること、それゆえに自己愛的で羨望を抱きやすく、シャーデンフロイデにまつわる感情に捉われるという現実を認識することでもあったのだ。
多少なりとも理屈っぽく哲学的な議論になったが、このお話をお聞きになった皆さんが、支持療法や共感の問題について、その価値や限界も含めて再考するきっかけとなれば幸いである。