成田が挙げている「白状」(「ひとりごと」p94)の例を見てみよう。ある臨床例が挙げられて成田は話が分かりにくい患者に、なかなかそれを言い出せなかったというエピソードが語られる。成田は迷った末に患者に「あなたの言っていることがもう一つよくわからなくて、あせりや無力感を感じる。おそらく今あなたも同じような気持ちではないか」と「白状」する。するとそれが患者の側の「自分でも自分の気持ちがよくわからない」という反応を引き出すのである。 これは上に述べた「自分は力不足で申し訳ない」という類の「白状」と言えるが、これはかなり危ういセリフであることは事実だ。一歩間違うと、「あなた自身が力不足を認めているのですね。ではこれまでの治療は何だったんですか?」と言われたり、「ではこの治療は今日で終わりにします。」という事態になったりしかねないだろう。このように「白状」は治療関係そのものが瓦解しかねないという覚悟を伴う言葉と言える。その意味で「白状」は捨て身戦法でもある。 しかしここでいみじくも「戦法」と表現したように、成田はこうすることにある程度の勝算を見込んでいることになる。それは常に成功するとは言えないまでも、特定の条件下ではある種の game changer となりうるのだろう。それはなぜだろうか? 一つにはそうすることで患者が治療者の弱気で怯えている部分を初めて垣間見ることになり、それが治療関係を大きく変える可能性があるからだ。患者が治療者に不満をぶつける時、大抵は治療者の側はびくともせず、どうせいくら言っても聞く耳を持たないのではないかという思いがある。あるいは少なくともその不満が治療者を動揺させたり不安にさせたりするという感覚が薄い。権力を持った相手に容赦なく不満や怒りをぶつける時、相手に一矢報いるという感覚はあってもそれ以上の衝撃を与えているという実感はないものだ。ちょうど幼児が母親をボカボカ殴りつける時 、幼児は母親をあたかも少しのことでは動じないどっしりとした存在であるととらえているであろう。つまりは相手を人間とは見ていないことになる。そしてその意味で治療者と患者の関係は対等であるには程遠いのだ。