ちなみに内科でも、医師が患者に「白状」することが必要になる場合を考えることが出来ないわけでもない。例えば患者が自分に該当する疾患についての知識が豊富で、医師の説明の不備や知識不足を突く場合などであろう。あるいは誤診ではないかと迫られることもあるかもしれない。その場合内科医は自己正当化をするよりは、自分の不勉強や誤った臨床判断について「白状」して謝罪することが倫理的にも必要になろう。ごまかしようのない場合にはそうするしかない。ただしそうすることへの抵抗は無論甚大だろう。その最大のものは自らの医師としての権威が侵されることへの恥や自己愛の傷つきと言えるだろう。 精神療法においては、患者の側から「どうしてわかってもらえないのか?」「なにもしてくれないではないか!」「高い料金を払っているのに、黙って聞いているだけで何か有効なアドバイスはないのか?」等、療法家としての機能を果たしていないという不満を患者からぶつけられることがそれに相当する。他にもいろいろな状況はあるであろうが、主たるものはこれに該当することが多いようだ。その時に療法家が窮するのは、どこかに「その通りかもしれない」という部分があるからであろう。患者の話に共感し、わかってあげるのが自分の本分であろう。しかしその相手が「わかってもらえない」と訴える限りは、自分はその職務をこなしていないことになる。 しかしこのような時、治療者は別の気持ちも持っている。「自分は一生懸命この人の話を聞いている。しかしそれでも『わかってもらえていない』としたらいったい自分はどうしたらいいのだろう?」という当惑。さらには「精一杯頑張っている自分が患者にどうしてここまで責められなくてはならないのか?」という怒り。ただし後者はこれを口に出していってしまってはおしまいである。それは相手の不満や怒りを増幅させてしまうに過ぎない。こうしていよいよ治療者は窮してしまうのだ。その際に気持ちを表現する一つの形は「自分は力不足で申し訳ない」ということだろうか。