2026年9月20日日曜日

成田先生のこと 8

 私が今あげた例は、治療者が自由度を失った状態を示すことを目的としていたわけではない。初診の治療者が誰でも通る道をわかりやすく示したかっただけである。もちろん治療者は経験を積む中で、治療場面で起きたことに自分ひとりで臨機応変に対応するようになるだろう。つまり彼はある意味での自由度を獲得していくことになる。しかしそれでも彼は自分が学んだ学派の考えや、過去のバイザーによる刷り込みを逃れることは出来ていないことが多い。そしてそれが本当の自由度なのかどうかは、分かりにくいことが多い。
 では本当の自由度とは、目の前の患者の立場に立った場合にどうして欲しいか、そして今の自分はそれに見合った対応が出来ているかを考える能力であり、できれば両者を矛盾のない形にすべく、治療者としての自分の在り方を形成していく力ということになる。
 ここで「目の前の患者の立場に立った場合にどうして欲しいか」は、もっと端的に言えば「自分が教育分析(個人セラピー)により、患者の立場に立った時に感じること」ということになる。もちろん共感性の高い治療者なら目の前の患者の気持ちに合わせることは出来るであろうが、本当にそれがわかるのは、自分が患者の立場に実際に立たされた体験を持つことである。もし過去に同様の状況で贈り物を拒絶した経験がある治療者は、自分が同じ立場で治療者に買ってきたお土産を受け取ってもらえないという体験を持った時に初めて「あの時」の治療者としての自分の対応を振り返ることになる。そして「あの時は学派の考えとかバイザーの教えに従っていたけれど、本当に治療的なのは~だったな。自分も一人の治療者として、あの時の間違いを繰り返してはならないな」という、ロジャース的な「自己一致」に準ずる考えを持つことが出来たら、その治療者は本当の意味での「自由度」を獲得できたことになる。そしてその自由とは、学派の縛り、バイザーからの縛りからの自由ということになるのだ。