2026年9月19日土曜日

成田先生のこと 7

 この文章のタイトルにあるように、成田先生は比較的自由人であったと思う。精神分析学会には属されていたが、その縛りは比較的少なかったのではないかと思う。そして人間として自由であることその治療者としてのスタイルは極めて関係が深く、ある意味では治療者であるうえで決定的な資質とも関係しているように私には思われるのである。
 成田先生について語る前に、この治療者としての自由さということについて述べておきたい。少なくとも我が国において、精神療法(特に心理療法とは区別せずこのような呼び方をしておく)を行う際、何らかの学派の影響を受けていないということの方が稀であると考えて差し支えないだあろう。精神科医あるいは心理士として大学教育や卒後教育を受ける時点で、例えば精神分析や認知行動療法やロジャース派の理論を学んでいるであろうし、その学派に属するスーパーバイザーについて指導を受ける可能性が高い。そして初めて患者を担当する際には、おのずとその学派で常識とされている考え方に最初は従うであろう。
たとえば精神分析学会に属し、分析関係者のSVを受けているとしたら、分析的な考え方に従った治療を行う傾向にあるであろう。その意味でその治療者は本当の意味で「自由」ではない可能性がある。もし臨床場面で一つの方針を立てようとしている時、「これは分析的にはあまり薦められないな」という考えが浮かび、その方針を変更する時、その治療者は倫理的に正しいのだろうか?
例えば患者がそれまでの週一回の頻度の面接を、次回から隔週にして欲しいと望むとする。初心の治療者ならそれをそもそも聞き入れるべきか、その要求をどのように理解するべきかということに関して途方に暮れ、それだけで身動きが出来なくなる可能性がある。急な面接頻度の変更にどのように対処するべきか?それは分析的な精神療法のテキストに書かれている事だろうか?バイザーはこれについてどのような判断を下すのだろうか?・・・・ おそらくその時に患者がどのような気持ちなのかについて考えるという作業は、それをしないということはないまでも、おそらく二の次になる。なぜなら治療者は「間違った対応をしてはいけない」という不安に駆られているからである。