以前誰かが「人間の分析家はいい意味で挑発的で侵入的でありうる」ということを言っていた。ところがAIにはそれがない、という文脈だ。それいらいそのことをずっと考えている。本当にそうだろうか。今のところ人間の言葉(思考?二次過程)は「コード化されていない過剰さ」があるが、AIにはそれが薄いという前提はそのままにしよう。ところが私たちはGAIという言葉が示すとおり、AIが生成的 generative であることを前提にもしている。生成的であるということは、どこかに創造的で自発的で、挑発的な面を含むのではないか? AIには desire はないはずなのに、どうしてそうなるのか?
AIは真の意味で創造的ではないかもしれない。でもアルファー碁は人が絶対差さないような手を差した(有名な「第37手目」)。これって創造的じゃないの?
このように心や主体性がないはずのAIが実は「コード化されていない過剰さ」のようなものが見られるというのはAIに関する議論で一番悩ましい点ではないかな?
これについてチャット君はこう返してきた。
「ニューラルネットワークの巨大な潜在空間、文脈依存性、蓋然的な生成 probabilistic generation などが組み合わさると、個々の出力は設計者が一つ一つ書き込んだものではなくなる。」そう、この意味でのAIのアウトプットはかなり創造的なのだ。問題はそれが内側にdesire を含んでいない事だろう。創造主なき創造、ということだ。