チャット君は「人間の分析家は患者の既成のpsychic organizationをdisruptできるが、LLMにはそれができない」という主張に対して、かなり正面から返せる論点になっているという。そして 「挑発的である」ことを二種類に分けることを提案する。
人間の分析家が挑発的になるのは、分析家自身に欲望、無意識、逆転移、攻撃性、好奇心などがあるからだ。つまり、subjective provocation とでも呼べる。一方AIには、少なくとも現在のLLMには、その意味での「あなたを揺さぶってやろう」という欲望はない。しかし、それとは別に、AIの答えはユーザーもデザイナーも驚くような者もあり、それは generative provocation と呼ぶことを提案する。
後者のいい例は、AlphaGoの「第37手目」という例。(2016年のLee Sedolとの第2局の有名な手)。重要なのは、AlphaGoが「独創的な手を打って李世乭を驚かせてやろう」と欲したわけではない。それでも結果として、人間の予測を破り、それまでの囲碁の「良い手」の感覚そのものを揺さぶった。これを「創造的ではない」と言い切るなら、逆に創造性とは何なのかをかなり狭く定義しなければならなくなる。つまり創造性は創造的な主体を必ずしも必要としないということになる。ただしCさんの「コード化されていない過剰さ」を完全に否定する必要はないと思う。
人間の発話には、身体、欲望、prosody、slips、repression、transferenceなどから生じる、発話者自身にも制御できない「過剰」がある。これは確かにLLMには同じ形では存在しない。しかしAIのoutputは、そのcodeから完全に予測可能でもない。つまり、
coded system ≠ completely predetermined output