ただしこのDSモデルををASD等にあてはめてもうまくいかない。彼らは過敏だが、よくない体験に対して被害的になる一方では、良い体験をそのまま受け入れてはくれない。これはDSがすべてには当てはまらない一つの例と言える。つまりDSは一般論ではないのだ。ちなみにASDで起きていることは、「社会的共感」など特定領域では構造的制約(processing limitation)があるという。つまりこれは 可塑性ではなく「特異的な処理特性」ということになるが、これこそ障害としてとらえるべきことであろうと私は考える。Belsky だったらASDは「differential susceptibility」ではなく“vulnerability”または“neurodevelopmental constraint” つまり「より悪くなる」ことはあっても「より良くなる」方向には広がらないということだ。つまりBesky はvulnerability という言葉をなくしたいのではなく、そう表現せざるを得ないものもあるが、ことごとくそのようにとらえる必要はないということか。
ちなみにASDの話の続きで。これは性格の一部(つまりそれはいい方向にも悪い方向にも向かうもの)というよりはハンディキャップということになろう。(逆に言えば、一般的に性格と言われているものはこのDSに従うような、ある特定の分野でのその人の持つ可塑性(ないしはその低さ)ということだろうか。)例えば穏やかな人(感情的な可塑性の低い人)はいいことにも悪いことにもあまり反応しないから、一緒にいて安心だが物足りない、という風に。いずれにせよ性格ならバタフライ型の分布を示すが、そうでない場合はどちらかにのみ大きく広がるという分布の仕方。
さてこれと解離とを結びつけよう。解離の場合は環境の突然の変化に対して、自らを変える、自らをなくして相手に同一化する、自らをシャットダウンするというような反応であろう。これは受容的な環境で相手に同一化するという重要な反応を起こすが、侵害的な場合には自らをシャットダウンしたり、相転移を起こしたりするといった極端な反応が起きる。その一つはPorges のいう腹側迷走神経系の反応ということになるが、これ自体がかなり相転移的な反応と言えるだろう。同一化とはある意味では相転移的と言えるが、これで解離のすべてを説明できるとは限らないが。ただここで一つの重要な発想の転換はDS:同一相内での振幅の違いのに対して、相転移モデル:相そのものが変わるということ。この視点を入れると、ASDの話も整理できる:ASDは「別の相の構造」だからDSの“両方向性”が成立しないという考えかたが成り立つのだ。