2026年5月10日日曜日

ストレスとDID 4 

  Belsky らのDS(differential susceptibility)モデルの定義をもう一度繰り返す。「ある人々は不利な環境により傷つきやすいだけでなく、良い環境からもより大きな恩恵を受けやすい」。これに基づく理論は従来の考え方である「トラウマにより解離が生じる」と若干異なる。私の28年前の「解離原性のストレス」という発想もそれに基づいたものだ。背景にあるのは、「ある種のストレスを体験すると人はみな解離する」という考えだ。つまりは環境因の種類を重視した考え方だ。  しかし実際は「一部の生まれつき解離しやすい人たちがいて、彼らは様々なストレスに解離的な反応を起こしやすい」という方が正しい。しかし実はこれも正確ではない。「ストレスには様々な種類があり、解離を起こしやすいものと起こしにくいものが確かにあり、また人にも解離を起こしやすい人とそうでない人がいる」の方がより正確であろう。すると「環境×その人の感受性」の組み合わせが解離を起こすということだ。  しかしここにもう一つ込み入った事情が存在する。それは解離そのものが病理とは言い切れないということだ。いわゆるストレス―脆弱性モデルとは、特定のストレスが特定の脆弱性を持った人により体験されることである種の病理を生む、というモデルだ。これが不安とかうつ状態とかなら病理と言えるであろうが、解離はそれとは少なくとも異なる。それが Putnam のテキストにも出てきた、解離が survival value を持つという考え方である。つまりはそれ自体はプラスにもマイナスにも働きやすい、それ自身としてはニュートラルな現象なのである。  さてその事情をどのように説明すべきかということで私が至ったのが「解離=相転移モデル」とでもいうべきものである。その一つのヒントとなったのが、Belsky の感受性の考え方である。彼は脆弱性ではなく感受性ととらえた。脆弱性なら弱く、つぶれるだけである。しかし感受性は心がある種の反応を強く起こすという考え方だ。弱く、潰れやすいというだけではないから、それはある意味では適応的にも働くと Belsky は考える。すると解離傾向を持つ人がそれを最も極端な形で表したものが、それまでの心の在り方を別のものにスイッチするという反応であり、それがDIDにおいて生じることなのだ。  このように考えるとなぜ病理学者が解離の説明に苦しみ、時には誤った理解の方向に進むのかがわかりやすくなる。もともと人の心の病理に相転移の考え方はなかった。つまりは病理をきたす心それ自体は、それ以前の心と同一のものだ。そして解離によりそれまでの心と異なる心の状態に切り替わった後も、人はそれを最初の心に起き続けていると考える。その結果として解離を起こしている人を「嘘つき」と見なしたりするのである。