甘え理論と精神療法の行方
土居は、アメリカでの異文化体験から、甘えの概念のヒントを得たが、その表現は直接的でかつ批判的であった。彼はアメリカ社会において「分析的教育を受けた者でさえも、相手の甘えの願望を汲み取れない」ことに驚いたという体験を記述している。そして実はこの甘えの願望は人々にあまねく見られ、精神分析においても転移関係が常に甘えを基盤に含むという独自の理論を展開した。このように甘えを「愛着と依存を結びつける」概念と見なした土居の視点は、性的・攻撃的欲動を重視したS.フロイトよりも、「対象関係論的」であり、またD.W.ウィニコットやH.コフートらによる愛着や共感に基づく理論と強い親和性を持ち、さらにはボウルビィの示した愛着の視点の重要さと深い概念的なつながりがあったとみることが出来る。
ちなみにこの愛着の問題は現在の精神分析においても非常に注目されているトピックと言える。近年、P.フォナギー、A.ショア、J.ホームズらによって提唱されている「愛着に基づく精神療法」では、治療者と患者との間の心の同期化(synchronization)の重要性が強調されている。特にショアは妊娠後期から生後1,2年の間の母子の間の愛着関係が、のちの精神の健康やストレスの対処の仕方に関して大きな影響を及ぼすことを示した。そしてこのような前提を踏まえた場合は、精神療法における治療関係はある種の愛着関係の再構築としてのニュアンスを持つことを示唆する。これは従来の精神分析における解釈を中心とした認知的なプロセスをその治癒機序として考える流れとは大きく異なるが、土居の甘えに基づく治療論は、その流れに先駆する理論であったことを改めて痛感させられる。そして同様の流れは米国における関係精神分析とも深いつながりを持つことになる。なぜなら関係精神分析においては、治療者と患者の人間同士の情緒的なつながりと、そこで生じる意図されざる行動(エナクトメント)への注目が重んじられ、その治療論には愛着理論や脳科学的な知見などが学際的に関与しているからである。
甘え理論と北山修の上下関係の理論に触れて
以上の考察を踏まえ、北山修(1999)が提起した「甘えの上下関係」について触れておきたい。北山は、甘えに関するモノグラフの中で、甘えにおいては「子どもからの愛の求め」に対して「親から与える愛」という形をとり、愛は目上から与えられるという「愛の上下関係」の観察・解釈に陥りやすいと指摘した。これに対し土居は、北山の議論は「甘え」よりもキリスト教的な平等の愛を重視していると批判した。この北山の提起した問題は十分に本発表において論じるに値すると思われる。
私の発表の立場からは、「甘え前駆期」には北山のいうような一方向性が存在すると考えられるが、本格的な甘え期に入れば、甘えは双方向的に展開されるのではないかと考える。しかしそこで十分な甘えの関係が醸成されない場合は、その甘えは「屈折した甘え」の形をとる事になるであろう。この「屈折した甘え」においては、そこでの感情は甘えに類似してはいるものの、真の相互性や愛他性の裏付けを持たないものであり、甘えの一方性もそのたぐいの感情とみなされるのではないかと考える。