2025年9月20日土曜日

FNSの世界 推敲の推敲の推敲 1

   本章はヒステリー(変換症、FND)の精神科からみた歴史というテーマについて論じる。すなわち本書の執筆を担当されている神経学の専門家とは異なる切り口からこのテーマについて論じることになる。はじめに本稿で用いる用語について述べたい。というのも本章に関してはめまぐるしい名称変更が近年あったからである。まずヒステリー hysteria はすでに過去のものとなりつつある概念ないし診断名であり、DSM-Ⅲ(1980)以降、解離性障害 dissociative disorder や転換性障害 conversion disorder へと引き継がれたという経緯がある。そして最近それがさらにFNDという表現を得たことになる。 以上の経緯を踏まえ、また用語の混乱を避けるため、本稿では同様の臨床的な表れをする状態に関して以下の3つを使い分けることとする。

● ヒステリー ・・・・・ DSM-Ⅲ(1980)以前の時代における変換症、FNSに相当する概念
● 変換症 ・・・・・ DSM-Ⅲ以降DSM-5(2013)までの時代における変換症、FNSに相当する概念、過去に転換と記載されてたものも本稿では変換という表現に変える。
● FNS ・・・・・ DSM-5以降の概念で、ここには変換症、機能性神経学的症状症、解離性神経学的症状症と同等のものとする。

ヒステリーの歴史

さてヒステリーに関する精神医学の歴史をひも解く、ということになるが、これを純粋に精神医学の歴史上の議論として切り分けることは簡単ではない。というのも昔から精神科と神経内科 (neurology、最近では脳神経内科という表現が一般的) は混然一体になっていた。ちょうどヒステリーについて現代的な医学の立場から唱え始めたシャルコーは神経学者だし、それを引き継いだフロイトやジャネは精神科医だったが、フロイトは元々は神経解剖学者だったという風にである。さらには病理学者(解剖をして顕微鏡で調べる学者)と臨床医の区別も漠然としていた。
 さらに問題となるのは、シャルコーやフロイト以前に「精神医学」が本来あるべき姿として存在したのか、という点である。よく知られているように、ヒステリーは子宮遊走によるという説が、ギリシャ時代からあったとされるが、これはそもそも「学問」的な理解なのかということも疑わしくなる。
 ヒステリーは人類の歴史のかなり早期から存在していた可能性がある。その古さはおそらくメランコリーなどと肩を並べるといってもいい。ヒステリーに関する記載はすでに古代エジプトの時代すなわち紀元前2000年ごろには存在していたとされるのだ。
紀元前5世紀には古代ギリシャの医聖ヒポクラテスがヒステリーを子宮の病として記載している。そもそもギリシャ語の「ヒステラ」(Gk. Hystera)「子宮」を意味することは広く知られている。かの哲学者プラトンもまた、ヒステリーについて次のように記載している。「子宮は体の中をさまようことで、行く先々で問題を起こす。特に子宮が丸まって胸や器官に詰まってしまった場合は、それが喘ぎや息苦しさを引き起こす。」「この病は子宮の血液や汚物の鬱滞のせいであり、それは男性の精巣から精子を洗い出すのと同じようにして洗い流さなくてはならない。」(Maines, 1998, p.24)

同じく古代ギリシャの医学者のガレノスは、紀元一世紀になりヒステリーについての理論を集大成した。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられ、結婚している女性に時折見られることから、情熱的な女性が性的に充足されない場合に引き起こされるものであるとされた。ヒステリーのこのような扱われ方は、主としてヒステリーの持つドラマティックな身体症状が人々の注目を集めていたからであると考えられる。「子宮が体中を動き回る」ことによって引き起こされていたのは、主として身体面の様々な症状だったのである。ちなみに日本では「臓躁病」という記載が見られたが、これも同様の考えに基づくものである。小此木啓吾 ヒステリーの歴史 imago ヒステリー 1996年7号 青土社 18~29

Maines, R.P. (1998). The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction. Baltimore: The Johns Hopkins University Press

岡野憲一郎(2011)続・解離性障害 岩崎学術出版社

ガレノスは非常に具体的な治療法について書いている。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられることから、女性の性的欲求不満により生じると考えられ、治療法としては、既婚女性は性交渉を多く持つこと、そして独身女性は結婚すること、それ以外は性器への「マッサージ」を施すこと(これは今で言う性感マッサージということになるのだろう)と記載されている。驚くことにこの治療法がそれから二十世紀近くまで、すなわちシャルコーの出現まではヒステリーの治療のスタンダードとされるのだ(Lamberty, 2007))。にわかには信じがたい話である。
Lamberty, G.J.(2007) Understanding somatization in the practice of clinical neuropsychology. Oxford University Press.

つまりヒステリーは一種の詐病、得体のしれない病、という差別的なニュアンスを伴うとともに、女性の性愛性と深く結びついた概念であったことがわかる。それは女性のみがかかるもので性的な要因に起因するもの、という偏見があり、しかも女性器への刺激(マッサージ)による治療ということまで行われていたことからもわかる。ただしこれが精神医学という学問の歴史に属すると言えるかについては非常に疑問であろう。