「一見普通の男性が起こす性加害」または「非犯罪性格の男性の犯す性加害」が改めてテーマになるわけだが、おそらくこれがなかなか理論的に整理されないのは、それがある意味では非病理学的な、よくある、「普通の」現象としてとらえられているからであろう。あるいは一見普通に見せかけているが、実は犯罪者性格の人が起こす事件であると考えられている可能性もあろう。 ところが私は「一見普通の男性が起こす性加害」には、それをそれとしてことさら取り上げるだけの根拠があるように思う。「一見普通の男性が起こす性加害」とは要するに「性加害者は通常の理性を備えた男性が、それを一時的に失う形で生じることが多い」ということを意味しているのだ。 そして私たちは同様に理性を失う形で行動を起こしてしまう例を知っている。それは例えばギャンブル依存であり、アルコール中毒やそのほかの薬物中毒である。これらは嗜癖、あるいは行動嗜癖と呼ばれる。そしてそれと同様に「一見普通の男性が起こす性加害」の問題は、男性の性愛性の持つ嗜癖としての性質ということである。 しかしここで私たちは一つの疑問に突き当たる。コカイン依存やギャンブル依存は、それを特に有しない人には問題行動を起こさせない。何らかの事情で自分で使うことのできる現金を手にしても、普通の人は何も特別行動を起こさないだろう。しかしいてもたってもいられずにパチンコ屋に向かってしまう人は、間違いなくパチンコ依存という病的な状態にある。しかし性加害はごく普通の(と周囲からも思われる)男性が起こしてしまうことが多い。その人が特別強い性欲を有しているというわけではないだろう。ということは男性にとっての性欲は、最初から依存症的な性質を有しているということになる。 ところで人間が通常有する生理的な欲求に本来的に依存症的な性質が備わっていることなど、他に例があるだろうか。例えば食欲はどうだろう? 極端な飢餓状態ではそれこそ地面を這っている虫さえも食べてしまうということがあるという。しかしこれはよほどの極限状態であろう。 ということで男性の性愛性の依存症的な性質を説明するために私はここで二つのモデルを取り上げようとしているのである。