2025年3月26日水曜日

関係論とサイコセラピー 推敲 6

 ところで山崎氏は岩倉氏の業績を語る上で【分析的】心理療法と、分析的【心理療法】との違いについて論じる。とても便利な使い分けの仕方だが少しややこしいので、私はここで前者を「分析的」後者を「心理療法」としよう。(余計分かりにくいか?まあいいや。)

この後者はあえて分析的なやり方をしない(無意識、転移を扱わない)という意味で、支持療法的であり、これがいわゆるPOSTというわけだ。しかし支持療法は歴史的にみて「あえて分析的なやり方を抑制する」というようなところがあり、最初から敗北宣言をしているようなところがある。それに比べて「分析的」の方は分析的であることを捨てない週1回ということになり、これがどの程度可能か、ということがこの「週1回」の議論の中で一番の問題となる。

山崎氏が自分の仕事をまとめている部分では、自分自身の言葉であることもあり、とてもわかりやすい議論を展開してくれている。「平たく言えば、私たちは『週一回』でも精神分析的に行えるというごくわずかな可能性に賭けることで、『精神分析的』というアイデンティティを維持しようとしてきたのだ、と指摘したのである。」何と正直な。 この主張が興味深いのは、「週一回」はほとんど精神分析的ではないと認める点で藤山の立場を受け入れつつ、でもそれでも・・・・というアンビバレンスがよく出ているところだ。そのうえで山崎氏は自らの立場を明確にする。それをわかりやすく表現するならば、「週一回は精神分析的ではない。それは分かった。もう精神分析と比べるのはやめよう。『週一回』それ自身が持つ治療効果について考えよう。」とでもいうべきか。ただしここは私自身の言葉で言い直したものであり、正確ではないかもしれない。 (ところでこの主張自体はよくわかるが、一つの疑問が浮かぶ。「週一回」が独り立ちするためには、精神分析的であること以外の根拠を見つけるということだろうか?もしそうだとしたら、本当にそれでいいのか。そうではないのではないか。しかしやはり分析的であることにこだわるとしたら、結局は「精神分析と比べる」ことになってしまうのではないか。まあ私見はさておき。) 山崎氏の論文は以下の結論に向かう。「週一回は分析的にするのは難しい」はもうコンセンサスであるというのだ。そしてそのうえで週一回が分析的にではなく有益であるためには、平行移動仮説の成否ではなく、近似仮説の詳細であるという。この提言はもはや若手の間で至っているコンセンサスらしいので、それを前提として話を進めてみよう。(しかし私はまだあきらめていないぞ。) この近似の一つのあり方がPOSTということだろうか。そしてそのあり方については、山口氏が以下にまとめている。それによると分析においては「分析的」では転移を集めるが「心理療法」(POST)では転移を拡散するということであるという。というのもPOSTはなるべく転移を扱わないというのが一つの方針としてあげられるからだ。そしてPOSTでも転移は起きるが、扱わずに「心に留め置く」という。他方では「分析的」は要するに準精神分析だから、無意識も転移も扱うということになる。こんなまとめで正しいのかな。まだ自信ないぞ。