実は精神分析における不安の議論は、これまたギャバ―ド先生の労作がある。これが決定版ともいえる資料なので、最初はこれをまとめる作業から入るしかない。少し億劫だがこれを機会にしっかり不安について学ばせていただくつもりだ。
GO Gabbard (2017) Psychodynamic Psychiatry in Clinical Practice. 5th edition. CBS Publishers & Distributions.
まずはフロイトから入る。フロイト(1895)は最初は不安を二つに分けた。① マイルドな形で表現され、抑圧された思考や願望によるものと、② パニックや自律神経症状を伴い、性的活動の欠如によるもの、いわゆる現実神経症 actual neurosis である。前者は原則的には分析により治療が可能であるとした。後者は単に性的活動を高めればよいことになる。ここら辺は精神分析の最初のころに学ぶことだが、フロイトの初期の説は相変わらず大胆で多分に性欲論的だ。しかし当時の精神医学界ではなんでも性に結び付けていたのだ。
1926年にフロイトは不安の概念を洗練されたものにした。そしてそれをエスからの性的、ないしは攻撃的な本能が超自我からの懲罰を受けることで生じる葛藤によるものとした。そして不安は無意識からの危険信号であるとした。有名な不安信号説である。それにより自我の防衛が発動する。その意味で不安は神経症的な葛藤の表現であり、それを意識化しないための適応的な信号と考えたのだ。(p.258)
ギャバ―ド先生によれば、不安は「自我の情動 ego affect 」であり、それはより深層の受け入れがたいものを覆い隠す、それ自身は受け入れられるものであるという。その抑圧がうまく行かないと、OCD(強迫神経症)やヒステリーや恐怖症になる、とした。(これを初めて読んだ新人のころは、「そうなのか!」と単純に信じた。)
ギャバ―ドさんは次に不安をいくつかに分け、それらを発達論的に位置づける。
超自我不安、去勢不安、愛を失う恐怖、対象を失う恐怖(分離不安)、迫害不安 persecutory anxiety、解体不安disintegration anxiety。
しかし大抵はこれらが複合した形をとる、として自身とNemiah による共著論文を引用している。
Gabbard,GO, Nemiah JC(1985) Multiple Determinants of anxiety in a patient with borderline personality disorder. Bulletin of Menninger Clinic. 49:161-172, 1985.
しかしギャバ―ドさんはこのモデルを示した後で、下層のレベルの不安、例えば迫害不安は成長につれて克服されるかといえばそうではなく、例えば戦争の原因になる、と言う。この古いモデルをいったん示して、でもこれは臨床家にとってのガイドラインに過ぎない、と伝えているが、これがギャバ―ドさんの通常の姿勢であり、私もそれに賛成である。