精神分析と不安に関して著書「ブッシュ・サンドバーグ 著,権成鉉 監訳 精神療法と薬物療法 統合への挑戦. 岩崎学術出版社, 2023年」の記述の一部をまとめてみる。 精神分析においては、不安は重要視されていた。なぜなら不安は葛藤の存在を意味し、「それゆえに分析家が患者の症状の無意識の起源を探求する助けとなったからである。この意味で不安の存在、もしくは発現は、葛藤が対処されつつあることを示唆するために、有害なものではなく好ましい兆候とみなされるであろう。」「薬は有益であるネガティブな感情をとん挫させる恐れがある上に、患者の自律性と自尊心を損なう可能性があるとみなされた。」(Sarwer-Foner, 1983)(同書 p1~2) 何と「精神分析的」な考え方であろうか。このように考えると不安をやらわげるような薬、デパス、ソラナックスなどの使用はとんでもないということになる。さらには精神分析は抗うつ剤を使うことにもとても否定的だった。鬱はその人の心の同定であり、抑圧された怒りの表れであるとしたら、その問題について扱わずに症状だけ解消するという考え方はおろかであるということになるだろう。 フロイトが自らを冒している癌に立ち向かう際に、鎮痛剤を使用することを拒否したと言われるが、このようなストイックな姿勢はいかにもフロイトらしい。彼は自らの精神の清明さを侵すような化学物質の使用には断固反対したのだ。しかしそのフロイトは精神分析を創出する前にはコカインの精神作用にいち早く注目し、また自らも使用したうえで、それがあらゆる心の病にとっての万能薬であることを示唆したこともまた有名である。ここら辺の矛盾も極めて興味深い。フロイトは化学物質の精神に与える作用の限界を感じて、精神分析に上記のような風土を醸成させたのか。