2025年3月23日日曜日

不安とパニックと精神分析 1

 不安と言えば神経症の症状の代表的なものである。そしてその神経症は精神分析的治療の対象とされる。では現代的な精神分析はこの不安の問題にどのように対処しているのであろうか? これから「大人の事情で」不安の論文に取り掛かるが、このとば口になるのがギャバ―ドさんのある論文だ。Gabbard GO, Bartlett AB (1998). Selective serotonin reuptake inhibitors in the context of an ongoing analysis. Psychoanal Inq 18: 657–72. この論文は要するに精神分析と薬物療法の接点について扱ったものだが、いきなりこんなことを言っている。米国で最初に認可されたSSRIであるプロザック(fluoxetine)を使用することで、BPDの症状が改善したことは当時は大いに話題を呼んだが、それについて。「多くの患者が自分の症状がいかに苦痛に満ちたものであるとしても、それに無意識的に抵抗している。しかし精神分析にSSRIを併用することで、彼らの無意識的な抵抗を扱うというユニークな機会が訪れる。」 ギャバ―ド先生は次のようにも言う。「フロイト以来分析家が気が付いていたのは、恐怖症の患者に関しては患者は恐れている状況に直面しない限りはほとんど前進がないということだ」(2003,p835)。 つまりこういうことだ。「精神分析では意識的な問題をあまり扱わないという不文律があることが、それにより表面的な不安や恐怖症の症状を扱わないことになっていることで、治療の効果が上げられないのではないか?」

なんか今日は短いな。忙しかったのだ。