「週一回」をめぐる議論としては、アムステルダムショック後の1998年に鈴木龍氏が週一回と週4回で転移解釈の有効性の違いについて「精神分析研究」誌で論じていたという点は興味深い。そしてここで週一回は「現実生活の現実性」を正しく評価することの重要性を説いていることも注目に値する。これらは現在の「週一回」の議論においても引き続き論じられているからだ。 しかし週一回が週4,5回よりも「現実的」というのはパラドキシカルな面があり、なぜなら週4,5回の方がよほど現実の出来事をピックアップしてもおかしくないからだ。もちろん週一回だとセッションが現実的な報告事項に費やされて、内側に入っていけないという点は確かにある。しかしそれ以外にも分析家が現実的な話をなるべく回避するという、治療者自身の態度にも関係しているのではないだろうか。
山崎氏の論文(2024、p73)にはMeltzer や飛谷氏らの論文を参考に、「転移の集結」(転移がおのずと集まること、Meltzer, Caper により用いられた用語)と「転移の収集」(転移を能動的に集めること、飛谷氏により用いられた用語)という概念を使い分ける。そして結局は両者とも週4回で成立するのであり、週一回では難しいとする。Meltzer が主張するように、分離を体験するための密着な体験が週4回以上に比べて得られないからだ。しかし転移を扱う①~⑥のほかのプロセスは週一回でも見られると主張する。
そしてその説明のために山崎氏は転移のプロセスを以下の6つに分ける。①精神分析設定に患者が参入する。②転移が治療者に向けられる。③分離が適切に扱われる ④転移が醸成され切迫した当面性のあるものとなる。⑤転移を解釈する。⑥転移が解消して変容がもたらされる。そして週一回でも④⑤⑥は成立しているのではないかという。(p.76)(実は私はこの記述がいまひとつ理解できていない。この④~⑥は転移の解釈にまつわる部分であり、これはむしろ分析でないとおきない、という主張の方が趣旨に合っているのではないかと思うのだ。ただしこれは私の誤読かもしれないが。もう少し考えてみよう。)
山崎氏はそれを論証する上で提示されたケースにおいて「転移の収集は転移解釈によりなされる」という考えを週一回に「平行移動」させたがそれが失敗に終わったというプロセスを描く。そこで与えた解釈は、Strachey のいう「当面性のある切迫点」においてなされたわけではなかったというのだ。(ここら辺は日本語は分かりにくいが、Strachey は、point of urgency とか emotionally immediate として表現している。転移の解釈は、その体験が身に差し迫った時になされるべきだという意味であり、患者の治療者に対する転移感情が非常に差し迫って生々しく感じられるときに解釈されることで変容性 mutative であるということだ。)
そして結局山崎氏が至るのは「形ばかりの転移解釈を投与すること」の弊害である(山崎、2024,p.21)そして週一回で必要なのは、「転移を能動的に考え、しかし転移解釈というアクションはしない」という姿勢である(同、p.24)。ウーン、そうなるとやはり⑤は週一回では入れない、ということになるのではないか?まだ私の理解が追い付いていないようだが、先に行こう。