2025年3月13日木曜日

関係論とサイコセラピー 24

 ギャバ―ドさんの論文、読みだすととにかくすごい。p825あたりから訳しながら読もう。彼は分析において患者にとって重要なのは、患者が無意識に繰り返しているパターンの理解を助けることだ、という言い方をする。確かにここまで抽象化するとフロイトの反復強迫のモデルにも、トラウマモデルにもこれを応用できる気がする。「ヒアアンドナウの転移解釈」にこだわる必要もなくなるだろう。しかしそこで治療関係が決定的に重要になるというのだ。そしてフォナギーたちに倣って言うのは、「治療において患者が治療者のこころに自分を知覚 perceive し、同時に治療者を異なる主観として把握すること」が重要であり、それはジェシカ・ベンジャミンの間主観性の理論にも関係するという。ここら辺のくだりは、ギャバ―ド先生がフロイトの精神内界モデルと関係モデルを融合するという試みを感じさせる。 ギャバ―ドさんの分析のモデルはあくまでも統合的だ。患者の変化は自分の繰り返すパターンについての意識的な理解と同時に Ryons-Ruth  の言う implicit relational knowing 暗黙の関係的な知 がそこに生じており、それが 「 出会いのモーメント moment of meeting」により生じるとする。ここら辺は日本では故・丸田俊彦先生がよく論じておられた。そしてそれが生じるためには「分析における境界は特定の分析的な二者により異なる文脈的な問題に関係していなくてはならない boundaries as fluid and related to contexual matters in a particular analytic dyad (Gabbard and Lester, 1005)」(p825)。ここら辺は柔構造(岡野,2007)の概念ともつながるな。そして治癒機序とは何かを応用しようとすることからは程遠いこと、そして常に個別化されなくてはならないこと(ミッチェル)、を強調する。 ギャバ―ド先生の本を読むと本当に一行ごとに膝を打ちたくなる。膝が青痣になるくらいだ。p826にはこんなことも書いてる。簡単に訳すと「結局分析において何が奏功するのかについて唯一のものはない。そしてそれは私たちを謙虚にする。治療者は何も知らないし、患者が治療者は知らないのだ、と知ることこそが変容的だったりするのだ。」「その意味では非防衛的non-defensive な態度こそが重要である。」その通り!(パチン)