2025年3月12日水曜日

関係論とサイコセラピー 23

 さて1について論じる際次の論文を参照する。なぜならこの論文の著者 Gabbard 先生はかなり私が言いたいことを言ってくれているからだ。 GLEN O. GABBARD and DREW WESTEN (2003) Rethinking therapeutic action.Int J Psychoanal 84:823–841 

彼は現代の精神分析においては、多元主義的な考えが受け入れられ、「治癒機序 therapeutic action に関しても、解釈のみが、分析家の矢筒の中に入っている唯一の矢であるとは言えない状況にある」という(p823)。うん、いい感じだ。そして Loewald はすでに1960年に、分析家のスキルだけではなく、分析家と患者が「新しい対象関係」を築くことが大切であると言っているという。そしてそれは変容性の解釈を論じたStrachey 自身も暗示していたという。それは治療者が新しい対象として患者の超自我に内在化され、その超自我の過酷さを変更するのだ、と言っているという。Strachey がそもそもテクニックに頼っていなかったんだ、というのが Gabbard 先生がよくおっしゃることである。そして現代の精神分析では以下の3つが起きているという。


1.「解釈か関係か」の議論はあまりなされなくなっていること。

2.強調点は再構成から患者と分析家の「今ここでの交流 here and now interaction 」にうつったこと。

3.治療環境 therapeutic climate の交渉 negotiation の重要さが強調されるようになっていること。 


そして例の Wallerstein のメニンガー・プロジェクトの結果を引用する。つまり「支持的なやり方も解釈的なやり方も同様に永続的な構造的な変化をもたらした」というものだ。(私もこのWallerstein の提言をいろいろなところで引用している。)

また Fred Pine (1998) は変化のメカニズムは常にindividualized されるべきであるということを言っているとし、その際エナクトメントの概念が重要である点についても強調している(p825)。もうここら辺でお腹いっぱいである。「今ここでの関わり」と言ったらその議論は昨今のエナクトメントの概念に最も集約されているからだ。