このように考えていくと、私自身が週一回の問題に関して言えることは次のようにまとめられるだろう。
1.ストレイチー~ギルの理解に沿って、治癒機序をヒアアンドナウの転移解釈とするならば、週4回と週1回の差に関する藤山~山崎の理論は概ね妥当であろう。
2.ただし転移解釈が治療的に持つ意味については、おそらく治療の頻度を超えた、状況依存的な面があり、それは「解釈は意識レベルに近いものから、無意識レベルの介入には注意すべし」という原則にまとめられるのではないか。つまり転移解釈を一つの典型とする精神分析における解釈一般に言える原則は週一回でも4回でも同様に当てはまるのであり、両者に質的な違いを設ける根拠は薄いのではないか。
3.1,2は解釈モデルに準拠した理解であるが、最近では治癒機序自体が数多く提案されている。基本的には出会いや関係性、それを理解するツールとしてのエナクトメントが注目を集めている。そこでは出会いの質が問題とされる。週4回にはそれなりの、週1回にもそれなりの出会いがあり、それぞれが治療への応用可能性を持つと考えるべきか。
2. に従うと、やはり週1と週4との違いは相対的な問題ということになる。「解釈は意識レベルに近いものから」の原則は頻度に関係なく言えることだからである。週4回でも意識レベルに遠ければ解釈には時期尚早であり、週1回でも解釈の機が熟している場合には解釈が妥当となるのだ。そして、1,2のもととなっている「治療者は患者の無意識を知る特権的な立場にある」という原則自体は実は解体されつつある。それは関係精神分析の基本的な立場なのであり、私自身もそれに同調している。