2024年12月30日月曜日

「独学する」 書評完成

 サイコセラピーを独学する 山口貴史著 金剛出版 2024年

 本書はわが国で出版された臨床心理関係の書籍の中ではかなり異色である。まず典型的な学術書や専門書とは言えない。サイコセラピーを座学で学んだ筆者が臨床に飛び込んだ実録ないしは体験記というニュアンスがある。それだけ臨床を始めた氏が体験した戸惑いの描写はリアリティに満ちている。そして何よりも氏がそれを自分の頭で解決しようと全力を振り絞った跡が見られる。私は最初から引き込まれるように本書を読み、私自身も非常に似たような体験を昔持ったことを思い出していた。出来ることなら私がまだ心理療法家として駆け出しのころに書きたかった本である。ただし私には彼ほどの文才や学問的なパワーはないので、単なるエッセイ風の体験記に終わっていたであろう。しかし著者はしっかり学問的な裏付けを行いとてもユニークな書に仕上げているのだ。

この本を読んでいて、私の中には「現場主義」という言葉が浮かんでいた。辞書によれば「実際に業務の行われている場所にあって業務の実行の中から生じる問題点を捉え、それを改善し、能率と業務の質の向上を計ること」(デジタル大辞林)とある。現場主義は氏のよって立つ行動原理をかなり反映しているであろう。つまり体験第一主義ということだ。山口氏自身がいう「一次情報」(p.229)の重視である。

 人はある技量を身に着ける際に、ある程度座学で予備知識を得てから実地に臨むことが多い。そしてそこで知識と実体験の矛盾や齟齬に多かれ少なかれ当惑することになる。しかし多くの場合この矛盾にあまり悩まされない。「フーン、理論と実践はちがうんだ」と割り切って、学んだことはいったん忘れて実践から学ぶか、あくまでも理論を実践に当てはめることに腐心するかのどちらかだろう。ところがそのどちらにも満足せず、氏のようにその齟齬の生まれる原因についてとことん追求しつつ実践を続ける人もいる。私はそこに氏の学問的な誠実さを感じ、とても好ましく思う。

 一つ興味深いのは本書の題名が「独学する」となっていることだ。確かにこれは独学でもとても孤独な独学だ。例えば精神分析を独学する、というのとは意味が違う。こちらにはいざとなったら専門書やトレーニング機関がある。しかし氏の独学は、どのような学派の理論にも頼らず、自分で自分の理論を作り上げていく作業だ。究極の独学といっていいし、本書が出た以上心理臨床の初学者はもう孤独を味わいながら「独学」をしなくてもよいのだろう。

 このように山口氏は既存の精神分析理論や心理療法にとらわれず、より現場主義的な立場から自らの「個人モデル」を作り上げたわけであるが、実は精神分析の中においても、同様な立場を貫く流れがあったというのが私の理解だ。それがより自由な気風の米国で生まれた関係精神分析である。それは伝統的な精神分析な価値観を根本的に問い直す立場として生まれた動きだと言っていい。もしスティーブン・ミッチェル(関係論の立役者)のようなスーパーバイザーに早くから出会ったとしたら、山口氏は「個人モデル」の最終形にずっと早く行きついていたのではないか。

 勿論そうは言っても関係精神分析も一つの学派であり、そこには理論的な縛りも存在する。しかし氏は関係論の示すもののかなりの部分を吸収するであろう。それほどまでに氏が提示している「個人モデル」は、セラピストの「揺れ」も含めて関係論的な姿勢と齟齬がないからである。なぜなら関係論は極めて常識的で現場主義的なリアリティを盛り込んだものだからである。

最後は関係精神分析の宣伝のようになってしまったが、ともかくわが国で氏のように柔軟で独創性を備えた療法家が生まれたことを心から歓迎したい。