サイコセラピーを独学する 山口貴史著 金剛出版 2024年
本書はわが国で出版された臨床心理関係の書籍の中では極めて異色である。そして私がまだ30代の臨床心理士で、とくに精神分析に傾倒しておらず、彼ほどの文才があったら、書いてみたかったであろう本でもある。だから最初から引き込まれるように読んだ。臨床を始めた当初の氏の戸惑いにはリアリティがある。そして何よりもそれを自分の頭で解決しようと全力を振り絞った跡がある。それでいてその問題を解決する過程で氏が渉猟した文献の豊富さはどうだろう?それが本書を単なる体験記やエッセイにとどまらない学術書に仕上げているのである。
この本を読んでいて、ふと「現場主義」という言葉が思いついた。デジタル大辞林によれば「実際に業務の行われている場所にあって業務の実行の中から生じる問題点を捉え、それを改善し、能率と業務の質の向上を計ること」とある。氏の持つ思考をある程度は反映しているであろう。つまり体験第一主義ということだ。
人はある技量を身に着ける際に、ある程度座学で予備知識を得てから実地に臨んでいく。その際に座学で学んだことと実体験の矛盾や齟齬を体験することになる。しかし多くの場合この両者の共存にあまり問題を感じない。「フーン、理論と実践はちがうんだ」とあまり気にしなかったり、あくまでも理論を実践に当てはめることに頑なになったりする。ところがそのどちらにも飽き足らず、その齟齬の生まれる原因についてとことん追求しようとする。私は山口氏にその様な姿勢を見るのだが、これは自然科学者の姿勢でもある。
ところで一つ興味深いのはこのような営みを氏は「独学する」と表現していることだ。これは独学は独学でもとても孤独な独学だ。例えば精神分析を独学する、というのとは意味が違う。どのような学派の理論にも頼れず、自分で自分の理論を作り上げていく。究極の独学といっていいし、この独学についての書を参考にした心理臨床の初学者はある意味ではもう「独学」ではなく、氏のテキストから学ぶということになろう。だからこの書は「いかに独学するか」、という書ではもはやなく「いかに独学したか」についての記録、ということになるだろうか。