2024年7月2日火曜日

「トラウマ本」 トラウマと心身相関 推敲 3

 転換性障害の診断基準の見直し

ここで改めて転換性障害の診断基準がどの様に移り変わったかをまとめて表に示したい。


 

症状が神経学的に説明出来ない

心理的要因(心因 )の存在

症状形成が作為的でない

疾病利得が存在

DSM-

DSM-IV

問わない

DSM-5 

〇(あえて強調しない)

問わない

問わない

問わない

ICD-11

〇(あえて強調しない)

問わない

問わない

問わない

 この表の一番上に示された、DSM-Ⅲにおいては、「症状が神経学的に説明できないこと」、「心因が存在すること」、「症状形成が作為的でないこと」、そして「疾病利得が存在すること」がすべて満たされることで初めて転換性障害の診断が下ることが示されている。そしてこれは従来のヒステリーの概念を彷彿させるのだ。というのも本章の冒頭で述べたとおり、ヒステリーとは「自作自演で症状を生み出したもの」であり、それが周囲の注意を惹いたり何らかの利得を目的としたものというニュアンスを有していたからである。
 このうち心因についてはDSM-5,ICD-11では診断基準としては問われなくなったことは、上で転換という概念がなくなりつつある理由として示した通りである。それでは「症状形成が作為的でないこと」や「疾病利得が存在しないこと」についてはどうであろうか。
 先ず「症状形成が作為的でないこと」は、転換性障害だけでなく、他の障害にも当然当てはまることである。さもなくばそれは詐病か虚偽性障害(ミュンヒハウゼン病など)ということになるからだ。そしてそれを転換性障害についてことさら述べることは、それが上述のヒステリーに類するものという誤解を生みかねない。
 さらには疾病利得についても同様のことが言える。現在明らかになりつつあるのは、精神障害の患者の多くが二次疾病利得を求めているとのことである。ある研究では精神科の外来患者の実に42.4%が疾病利得を求めている事とのことである(Egmond, et al. 2004)。従ってそれをことさら転換性障害についてのみ言及することもまたあらぬ誤解を生みやすいことになる。

Egmond, J. Kummeling, I, Balkom, T (2004) Secondary gain as hidden motive for getting psychiatric treatment (2004) European psychiatry  20(5-6):416-21






 さらには従来転換性症状に見られるとされていた「美しい無関心 a bell indifférence」の存在も記載されなくなった。なぜならそれも誤解を生みやすく、また診断の決め手とはならないからということだが、これも上記の脱ヒステリー化の一環の動きを反映しているといえるだろう。ただし実際には転換症状が解離としての性質を有するために、その症状に対する現実感や実感が伴わず、あたかもそれに無関心であるかの印象を与えかねないという可能性もあるだろう。その意味でこの語の生まれる根拠はあったことになる。
 このようにして症状の作為性に関してはDSM-IVにおいて改められ、また疾病利得について問うことはDSM-5において廃止されたが、DSM-5とICD-11共にあまり目立たないが大きな変更があった。それはその定義第一の定義としての「症状が神経学的に説明できないこと」(DSM-IV)についてである。それが「症状が認められる神経学(医学)的疾患とは「一致しない」((DSM-5では not consistent”, ICD-11では”incompatible”と表現されている)に変更されたのである。
  この変更は、転換性障害において神経学的な所見が存在しないということを否定しているわけではない。しかし医学的な診断が存在しないこと(すなわち陰性所見)を過度に強調するのではなく、医学的な診断に見合わないという点であるという。
 例えば足が動かないという訴えをする人に転換性障害の診断を下す場合、足に病変がないということにより(つまり所見の不在により)診断することは適切ではないとする。そうではなく仮に神経学的に診断し得る足の麻痺があっても、それに見合わない過度の思考、感情、行動が伴う場合(つまり所見の存在により)定義されるべきである。そのことをDSM-5,ICD-11で「あえて強調しない」と表記してある。
 このような変更には、患者が偏見や誤解の対象となることを回避すべきであるという倫理的な配慮も働いている。これについてDSM-5の以下の記載が見られるからだ。

「こうすることで所見の不在ではなく、その存在により診断を下すことが出来る。・・・ 医学的な説明が出来ないことが過度に強調されると、患者は自分の身体症状が「本物 real でないことを含意する診断を、軽蔑的で屈辱的であると感じてしまうだろう」。(DSM-5, p.305)