2024年3月2日土曜日

「トラウマ本」共感と脳科学 加筆部分

 はじめに

共感の脳科学的な側面についての解説を行うのが、本章の目的である。近年発展の目覚ましい脳科学は、これまでは体験的に、ないしは臨床的に論じられることの多かった共感の概念にも新たな光を投げかけている。そして以下の論述からも分かる通り、トラウマの文脈にもつながってくるテーマである。
  本章では共感とは英語のempathyと同等の概念であるという前提で話を進めるが、このempathyはドイツ語のEinfühlungの直訳とされる。フロイトが精神分析の概念をドイツ語でつづったという事もあり、心理学の概念にはドイツ語圏由来のものが多いが、このempathyについてもそれが言えるのだ。そしてこのEinfühlung には “feeling into”someone(~の感情に入る)という意味がある。ただし英語圏にはempathy以外にもsympathy, empathic concern, compassionなどの様々な類義語があり、また日本語でも共感、同感、同情、思いやりなどの表現が見られる。本章ではそれらによる混乱を避けるために共感=empathyと見なすことにするのだ。 そしてその共感=empathyの意味としては「他者の体験を目にした際に人が示す反応 reactions of the individual to the observed experiences of another」(Davis,1994)と捉えたうえで論を進める。

このように共感は、その言葉の定義だけでも錯綜し、論者によりさまざまに議論される傾向にあったが、最近一つの注目すべき傾向がある。それは最近は共感を認知的なそれと情動的なそれとに分けて論じるという傾向があるということだ。つまり他人の気持ちを感情レベルで理解するか、認知レベルで、すなわち「理屈で」理解するかの違いで分ける試みであり、場合によっては熱い認知hot cognitionと冷たい認知cold cognitionなどとも呼ばれている。(Brand, 1985)。

もちろん共感を認知的か情動的かに明確に分けることが出来るかは議論の多いところだろう。しかしひとまずこの理論に沿った最近の研究の動向を知り、その臨床的な有効性を論じることには意義があると考える。特に最近のいわゆる「心の理論」に沿った共感の理解は大いに参考になると私は考えている。それにこの分類そのものを検討することは、心の理論そのものについての批判的な検討にも繋がるであろう。
 そこで本章ではまずDvash & Shamay-Tsoory(2014)の論文を手掛かりにしてこの路線での共感の理解についてまとめてみる。

 認知的共感と心の理論

 まず認知的な共感については、「心の理論theory of mind, 以下ToM」についての様々な研究がなされている。このToMとはわかりやすく言えば、他者の心を類推して理解する能力ということになる。普通他者の心を理解する、と言えばそこに感情の理解も含めると考えがちであるが、ToMはもっぱら認知的な理解を指すというのが特徴的である。
 ToMという用語は、1978年に発表された Premack と Woodruff (1978) による論文「チンパンジーは心の理論を有するか? Does the chimpanzee have a theory of mind?」において最初に用いられたとされる。それ以後、発達心理学において多くの研究が行われている。また近年Peter Fonagy などにより論じられるいわゆる「メンタライゼーション」 (Allen, Fongy, 2009) という表現も同様の意味合いで用いられている。つまりこの両者がおおむね認知的な共感に相当すると考えられるのだ。
 ToMはもともとは他人の心を理論的、認知的に推し量るという意味であると述べたが、その代表的な課題として挙げられる「サリーとアンの課題」を見ると、そのことがよくわかる。ちなみにこれはこれは心の理論と自閉症の関連について研究したサイモン・バロン=コーエンら(1985)が考案したものだ。
 サリーとアンの課題は以下のようなものだ。
二人の少女サリーとアンが寸劇に登場する。二人はそれぞれ自分の持ち物を入れる箱を持っている。まずサリーはビー玉を取って自分の箱に隠す。そしてサリーは部屋を出て行ってしまう。残されたアンはサリーの箱からビー玉を取り出し、自分の箱に入れる。しばらくしてサリーが戻ってくる。ここでそれを第三者の立場から見ていた子供にある設問がなされる。「サリーはまずどこにビー玉を探すでしょう?」

ここで実際にアンがビー玉に対して行った操作に惑わされず、純粋にサリーがどのような思考をたどっているかを推察することが出来ると、「サリーはまず自分の箱を探す」という正答に至る。そしてその場合は心の理論をマスターしていると考えるわけだ。

ただしここからが少し話が複雑になるのだが、この認知的なプロセスであるToMを、さらに認知的なプロセスと情緒的なプロセスに分けるという試みがなされているというのだ。すなわち前者は相手の認知プロセスを認知的に推し量ることであり、後者は相手の情緒プロセスを認知的に推し量るという事である。さらに言い換えるならば、認知的ToMとは人がどの様に考えているか、情緒的なToMとは人がどの様に感じているかを理論的にたどるという事になる。
 先ほどの「サリーとアンの課題」であれば、認知的ToMはサリーが自分のビー玉はどこにあるかを考えるのに対して、情緒的ToMは「早くあのビー玉で遊びたいな」などの感情部分を理論的に考えることになる。
 ここで「サリーとアンの課題」でのビー玉の代わりに、食べ物、例えばクッキーなどを考えると、この情緒的ToMが何に該当するかも考えやすいだろう。サリーが「早くクッキーを食べたいな」という楽しみの気持ちとか「あのクッキーをアンにとられてはいないかしら?」という不安を感じているのではないかと推察するのは情緒的ToMに相当する、という事になろう。