ソフトウェアとしての脳科学?
以上述べたように、私の興味は最初は精神分析やファントム理論などの精神病理学に向けられていたが,それから40年(そして特に最初の20年)が経つうちに,いつの間にか関心は脳科学の方に及ぶようになった。読者は私の心に「精神分析・精神病理→脳科学」というシフトを起こさせたような大きな出来事があったのかと思われるかも知れない。しかし私にとっては精神分析・精神病理への関心と脳科学への関心は矛盾したものとは感じていなかった。両者はむしろ自然な形でつながっていて、関心が前者から後者の方にゆっくり移っていったという感じである。
だから私は今でも精神分析にも興味があり、その研究も臨床も続けている。ただフロイトが考え出したモデルよりもさらに理にかなったモデルを追求していきたいと考えているのだ。現在の精神分析は様々な伝統的な理論や治療技法に拘束される傾向があり、精神病理学についてもある程度は同様の問題を感じている。他方では脳科学はあらゆる発想や仮説に自由に開かれているという点でより魅力的なのである。
さてこの第一章を終えるにあたり、この精神分析と脳科学の関係を表すうえで、一つの比喩を示しておきたい。なぜ私が精神分析・精神病理から脳科学に軸足を移したのかもさらにわかってもらえるかもしれない。
ただしこの発想は私の中では結構新しいものだ。私が精神科医になった1980年代前半は汎用性のあるパソコンそのものが存在しなかった。後にハードウェアとかソフトウェアとかの用語や概念を用いるようになってから振り返り,そのような比喩を思いついただけである。そしてその意味での心のソフトウェアとしては,精神分析やファントム理論が最も出来栄えがいいものとその当時はみなしていたのである。