2020年6月16日火曜日

新無意識 1


新しい心の概念としての「新無意識」

ところで非線形的な心の在り方は、私たちの心の持つごく基本的な性質であり、それ自体が心の構造を私たちに指し示すものではない。100年以上前に神経系統が、細胞という単位(ニューロン)で構成されていることを発見したフロイトは、さっそくさまざまな仮説を設けたが、後の彼の心の理論、たとえば意識、無意識、あるいは超自我、自我、エスといった心の図式へとつながったわけではなかった。後者は彼が独自に考え出した心の構造の仮説であった。それと同じように、心の在り方が非線形である、という基本的な性質から心の構造を具体的に構築することは出来ない。しかしその心の在り方はおそらくフロイトが考えたものとはかなり異なるものになるのである。幸いそのような心を「新無意識 new unconscious」という概念を用いて説明する試みがある。そこでこの概念について説明したい。
まあ、ここまではこれでいいか。
すでに本章で触れたことだが、精神分析に限らず、心理療法一般では、療法家はいろいろなことに因果論を持ち出す傾向にある。「あなたのこの症状にはこういう意味がある」、「あなたの過去はあなたの今のこういう行動に反映している」のような意味づけをするということがすごく多いのだ。漠然とした因果論や、根拠が不十分な象徴的な意味づけは、精神科医でも心理士でもある程度は避けられないであろう。この因果論に基づいた思考には長い伝統があり、脳科学の知見とはなかなか融合しないという事情がある。精神医学においては薬を使うために脳科学的なことは十分わかっていなくてはいけないのであるが、医師はなかなか勉強する余裕がないという事情がある。他方では臨床の場面での患者さんの振る舞い、言動というのはいわば生ものであり、常に予測不可能である。そこでそのような患者さんを扱うために、とりあえずは因果論、理由づけに頼ってしまうわけだ。
まあ、これも今でも賛成する。たった2年前に書いたことだからね。
  ちなみに「新無意識」は私の造語ではない。れっきとした著書が出版されている。(Bargh (Eds.) The New Unconscious.  Oxford Press.) これを紐解けばわかるとおり、たくさんの論者が、最新の脳科学に依拠した様々な議論を持ち出しているが、結局「新無意識」そのものについて書いている人はいない。そこで私なりにその新無意識の輪郭だけでも示すことを試みたい。
 最近の脳科学の進歩は目覚しいものがあるが、何と言っても1980年代以降、脳の活動が可視化されるようになったということが大きい。機能的MRIPETなどの機器のおかげである。とにかく患者さんの心にリアルタイムに進行していることが脳のレベルでわかるようになってきている。最近、ディープラーニングがまたまた注目を浴びるようになってきている。なにしろコンピューターが絶対に人間を追い越すことはないと思われていた囲碁の世界で、AlphaGoというプログラムが世界のトッププロに勝ってしまった。それを通して、ではディープラーニングというのは一体なんなんだろうということが我々の関心を引くようになったわけである。ディープラーニングをするAlphaGo は、囲碁のルールは教わっていない。囲碁の何たるか、これが囲碁だ、ということを理解する、いわばフレーム問題をバイパスしているわけだ。ただこう打たれたらこう打つ、こういう手に関してはこれがベターだという情報を星の数ほどインプットしている。そうすると囲碁の正しい手が打てるようになる。そこに教科書的な意味での学習はない。
実はこの学習方法は、人間のそれと同じであると言ってよい。人間も実は学校以外では学習はしていない。なぜなら赤ちゃんは学校に通うはるか以前にたくさんの情報からこういうアウトプットがあり得るということを一つ一つ学んでいくわけだからである。すなわち我々の脳はディープラーニングをするものなんだというふうに考えるとわかりやすい。そしてそのような心の在り方は、フロイト流の考えとはかなり異なることが分かってきている。
ここもこのままでよろしい。