2020年6月21日日曜日

新無意識 6


ここで一つお断りしなくてはならないのであるが、新無意識とは、決して「新しい無意識」ではない。私たちの脳が進化を遂げて、リニューアルした無意識を獲得した、という話ではない。新無意識とは、私たち人類が生まれたときから持っている無意識(あるいはフロイトがそう概念化したもの)を新しく理解し直したものであり、ある意味では「より正確に理解された無意識」である。
そこで無意識を、私たちが意識されない部分、すなわち「非意識 non conscious」ないし「意識下subconscious」としてとらえた場合、現代的な考え方では、それはおそらく私たちの脳の大部分を占めることになってしまう。というのも私たちは意識化できる部分を行っていくうちにそれが自動化し、無意識の部分に移って行ってしまうということを繰り返していることが理解されるようになったからだ。そして現在の脳科学では、私たちの行動の非常に多くが無意識に支配されているという研究が示されている。フロイトの提示していたことはある意味ではその通り、あるいはそれ以上だったのだ。
しかしここで注意が必要だ。グレン・ギャバード先生がそのテキスト「長期力動精神的精神療法」(p6)で書いていることだが、「 無意識」を中味が存在する空間的なたとえとみなす考え方は,近年の議論ではどんどん流行らないものとなっている。今日神経科学に通じた精神力動的治療者は,「 無意識」 というよりむしろ無意識的な精神機能とか無意識的表象といった物言いを好むという。つまり無意識的な欲動に支配される、といった大げさなものではなく、私たちは知らず知らずのうちにある言動を起こしているが、そのことに気が付いていない、という程度のことを無意識的な心の働きとして想定しているというのだ。
ギャバードさんの挙げている例に、こういうものがある。白人の被検者に黒人と白人をインタビューさせると、明らかに黒人に対しては言いよどんだり距離を開けたりという態度を示すにもかかわらず、「自分は人種的なバイアスを持っていません」と言うのだそうだ。人がAと言いながら、あるいはそう思い込みながら、実は別の気持ちBを持っている。このことは例えば否認とか自己欺瞞とか呼ばれる現象で、現在でも経済心理学などの分野で人の行動を分析することで、それにまつわる様々な現象があらたに明らかになってきている。この種の人間の性癖は普遍的なものと言えるが、これをフロイトの描いた無意識理論と同じにできるとは言えない。ギャバードさんの挙げたような例は、「あなたはAというけれど、行動はBを表していますよ」と本人に問いかえれば、「そうかなあ。」と思い当たるところがあるような反応を見せたり、「なせそんなデタラメを言うんだ」「フェイクニュース!!」などの反応を示しつつも、その指摘は当たらずとも遠くはなかったということを認めるだろう。ところがフロイトのいう無意識内容は、それを本人に伝えてもにわかには信じがたいような内容であることが多い。(実際フロイトに言わせれば、無意識内容は、間接的にしか知りようがない、という事になる!!!)
結局は、現代的な無意識理論はその種の理論を完全には否定しないものの、あまり「流行らなく」(ギャバード)なっているというわけだ。