2020年6月22日月曜日

新無意識 書き直し 1

フロイトと脳科学、無意識

 無意識という問題について考えるうえで、最初はフロイトに立ち戻ろう。
 フロイトは心と脳の関係を真剣に考えだした最初の人間であったが、最初は脳はブラックボックスのようなものだった。(今でもある意味ではそうだが。)人間や動物の脳を取り出しても、肌色をした塊が出てくるだけである。中がどうなっているのかさっぱりわからないし、それを切っても少し色のついた塊の部分がいくつか見られるだけだ。解剖の際に脳を切ってみても、いくつかの部分に分かれる、ということはない。多少切り離されている感があるのは小脳だけだ。それと左右の大脳半球ははっきり二つに分かれて見えるが、脳梁部分でしっかりつながっている。もちろん特別な配線やスイッチなどは見当たらない(当たり前だ!)。そこでフロイトは動物の脳や中枢神経を顕微鏡で調べ始めた。するとただの塊に見えた脳が、どうやら神経細胞という素子の集合であることが分かった。それ以上はよくわからない。
 フロイトはもうこの時点で壮大な仮説を立て始めた。そして φψという2種類の神経細胞があって、φ の場合にはそこで信号の流れがせき止められ、ψ の場合にはここを通過するという理論を立てた。フロイトはそこを流れる信号が電気的なものであるとは考えなかったであろうから、一種の流体のようなものということになった。そうなるとリビドーしかない。そしてそこから心の在り方を一生懸命組み立てようとしたのだが、さすがにこれだけでは全然無理だった。まるでコンピューターの原理を知らずにCPUを分解して、ミクロレベルでの二種類の部品、ダイオードやトランジスタなどを取り出して、その働きを知ることなく、一気にCPUの仕組みを説明するようなものである。
 ところで当時の心の脳の仕組みを説明する学問的な素地はとてつもなく大雑把なものだった。このころフロイトがいたウィーンを中心に発展していたのは、いわゆるヘルムホルツ学派の考えである。その信奉者であったフロイトが依拠していたのはいわゆる水力モデル hydraulic model であり、そこで「流れる」「せき止める」という概念が出てくる。つまり抑圧、あるいは抑制によってリビドーという一種の流体の圧力が鬱積すると不快になり、それが解放されると快につながるという非常にシンプルな理解の仕方をしたのだ。フロイトの脳の在り方を絵にするとこんなふうになると思う。パイプがこのように並んでいる。 

この絵はルイス・タルディという人の作品だが、おそらくフロイトの打ち立てた心の理論はどちらかというとこれに近かったのではないかと思うが、こんなことを言ったらフロイトは怒るかもしれない。