2020年6月19日金曜日

新無意識 4


そもそも無意識的幻想とは・・・・

ところで日常的に解離性障害を扱うという私の立場上、解離理論の文脈で無意識をとらえなおさなくてはならないのは当然だ。
まず精神分析の世界で何が起きているかと言えば、無意識的なファンタジーが治療対象として扱われることがますます少なくなり、より現実的な問題に重きが置かれるようになってきたということだろう。無意識に潜む何かを問題にするというパラダイムが昔ほどは考えられなくなったということだろうか。この私も、私は精神分析家だが、「患者の無意識的幻想」をしっかり探求しているだろうか、などと心配になる。でも分析を続けているうちにそれまであらわになっていなかったものがそうなるという体験はそんなに多くないと考えるようになっている。むしろそれとは別の体験の方が多いのではないだろうか。精神分析や精神療法での変化としては以下のようなものが圧倒的に多い。
● それまで受け入れられなかったことが受け入れられるようになる。たとえば「母親からの電話に出たくない、と言えるようになった」など。
● ある種の外傷的な出来事の想起や、それを取り扱えるようになったこと、など。
あるいは現代の精神分析は転移中心の考え方になっているので、どのような転移逆転移関係が生じ、それが解消されていったかが主たるテーマになり、「無意識的云々」ということはあまり出てこないということもあろう。
結局はある種の無意識的なファンタジー、欲動を宿す無意識という考え方があまり妥当ではなかったからか。そもそもこのモデルはフロイトが幼児性欲を前提として作り上げたモデルであるために出来上がったわけだが、最近のモデルはもっとトラウマモデルに近くなっている。つまり人の精神的な問題の背後にはある種の愛着の問題やトラウマの問題が隠されている場合が非常に多く、むしろそれを想定した治療の方が間違いがないということである。つまり想定はこうだ。
患者さんは幼少時に、あるいは思春期以降にトラウマを体験し、それが十分に扱われなかったり、新たに想起されたりするということが生じることが多い。もちろんそうではないケースもたくさんあるが、治療によりこれまで明らかでなかったことがあらわになる、というプロセスは、実はこのようなケースが圧倒的に多い。いわば幼少時の性的外傷の記憶が想起されるというプロセスであるが、実はこれはフロイトがヒステリー研究の段階で扱っていたストーリーと同じものであることは重要である。ということはフロイトはこの境地にすでに10年以上前に至っていたのか、ということになるが、フロイトはそこから大きな迂回をして、それは精神分析の歴史で起きた迂回ともいうことが出来るのだ。そしてそれが現在の精神分析の世界の中で一つの大きな問題となっている。
つまりこういうことだ。フロイトは考えた。「幼児期の外傷が無意識にとどまり、影響を及ぼし、それが後に治療により扱われるわけだが、それが無意識にとどまった理由は、それが幼児の性的願望と結びついており、それが罪悪感を生み、抑圧されていたからだ。」
ところが現在の臨床家は考える。「幼児期のトラウマは解離されてしまい、それが後に影響を及ぼす。」
つまりフロイトの「性的外傷が幼児の性的願望を刺激し、それが罪悪感のために抑圧される」というところがフロイトが作り上げた迂回路だったわけだ。