この論文も終盤だ。本当によくも書いたものである。ブログの勢いなしには到底無理である。感謝感謝。(実は分量を約半分に減らす、という仕事がまだ残っている・・・・)
解離-トラウマの身体への刻印
本稿では「解離-トラウマの身体への刻印」と題し、トラウマがいかに身体的なレベルで継続的な影響を及ぼすかについて、特に解離の文脈から論じることを試みる。
最初に用語についてであるが、一般に「外傷trauma」とは精神的なものと身体的なものの双方を含む概念である。しかし1980年のDSM-Ⅲ(American
Psychiatric Association, 1980)において登場したPTSD(post-traumatic stress disorder)の疾患概念が通常「心的外傷後ストレス障害」と訳されていることに鑑み、本稿では心的な外傷一般をさすものとして一貫して「トラウマ」という表現を用いることにする。その上でこの「外傷」の分類を考えた場合、一般常識的には精神的な外傷(「トラウマ」)は心的な症状を生み、身体的な外傷は身体症状を生むという考え方がなされていたと考えられる。
1914年の第一次大戦時に、いわばPTSDの前身として「シェルショック」と呼ばれる病理が注目されたが、それは耳鳴り、頭痛、記憶障害、眩暈、震戦、音への過敏性等の身体症状が前景に立っていた。ここでの「シェルshell」とは砲弾を意味するが、それを近くで浴びたたことによる頭部外傷や脳震盪、毒物の影響等の器質因、すなわち身体的な侵襲が、その原因として考えられていたのである(Jones E, Fear NT, Wessely S.,
2007)。しかしその後に考案されたKardinerら(1947)の戦争神経症の概念においては、心的なストレスやトラウマに伴う身体症状がすでに詳細に記載されるようになった。
他方DSM-ⅢにおけるPTSDの登場以来、トラウマがいかに身体症状を生むのかというテーマは広く研究されるようになってきた。その背景には、最近の医学的な技術の発展に伴いその脳生理学的なメカニズムもますます明らかにされてきたという事情がある。
本稿ではトラウマの身体表現について、以下の四種の項目を設けて述べ、それらの一部がどのような解離症状と結びついているかについても論じたい。
それらの四種類とは、
1.
フラッシュバックに伴う身体症状
2.
転換症状としての身体症状
3.
自律神経系を介する症状
4. 4. その他、である。
1. フラッシュバックに伴う身体症状
第1の反応については、すでに上述のKardinerの戦争神経症の記載において、その概要は示されていた。そしてそれは1980年に刊行されたDSM-Ⅲに正式に記載され、近年はそれらについてさらに研究が進められている。PTSDの病理についての研究を精力的に進めるvan der Kolk (2015)の著書はその研究の集大成でもあり、優れた解説書ともいえる。
PTSDにおいて生じるフラッシュバックの機序は広く知られるようになってきている。以下にそれを概説する。
通常視覚、聴覚、触覚などの知覚情報は、大脳皮質の一次感覚野に送られ、そこで大まかな処理が行われたのちに、視床 thalamus に送られる。そこで出来事に意味の概要が与えられるが、それはおおむね闘争-逃避反応を起こす必要性について伝えるレベルでしかない。
たとえば森の中を歩いていたら、長い紐状のものが上から降ってきたとしよう。視床は「頭上から落下する紐状のもの、おそらくヘビだ」と認識するかもしれない。これは荒削りの情報であるが、網膜に配列された無数の視神経からの個別の情報に対する膨大な情報処理が行われた結果であることに注目すべきであろう。
視床でまとめ上げられた情報は、次に情動処理や記憶に関わる扁桃核 amygdala に送られる。視床からヘビのような物体の落下を伝えられた扁桃核は、すぐにそれを危険と認識し、扁桃核に直結している視床下部や脳幹に指令を発して、ストレスホルモン(コルチゾールとアドレナリン)を放出するとともに自律神経を介して身体全体を戦ったり逃げたりという反応を起こす態勢に切り替える。これが闘争‐逃避反応と言われる反応である。その際には交感神経の活動昂進に伴う身体症状、動悸、頻脈、発汗、瞳孔の散大、骨格筋の緊張などの自律神経を介した身体反応が生じる。
ここで注目すべき点は、視床からの情報は扁桃核の他にも大脳皮質に送られてより詳細な処理が行われるという事実である。これらはJoseph Ledeux(1996)の研究により示された、high road とlow road の概念である。知覚刺激は先ず上述のように直接的に扁桃核に伝わり、そこでアラームが鳴らされる。これがLow roadである。しかし他方は視床による情報はワンテンポ遅れて大脳の前頭皮質にも伝わり、ここでは時間をかけて総合的な判断が行われる。そしてたとえば「以前にも同じようなことがあり、結局は木の枝だった。今回もおそらくそうだろう。」とか、「とりあえずいったんよけて様子を見よう」、あるいは「なんだ、良く見直したら、やはり木の枝じゃないか」などの判断がなされて、逃走-逃避反応にストップをかけるのである。
この逃走-逃避反応においてその情動のレベルが極度に高まった際に、それを誘発した扁桃核の興奮はその情動的な反応パターンを強く記憶するとともに、海馬を強く抑制し、結果的にその陳述的な記憶の部分の定着を阻害することが知られている。そのようにして形成された記憶がいわゆるトラウマ記憶である。そしてこの興奮パターンが脳にまさに刻印された形となり、将来そのトラウマ状況を想起させるような刺激により、この興奮パターンが再現されることになる。そして人は最初のトラウマ状況において体験したのと同様の恐怖や不安や、同様の身体感覚を体験することになる。それがフラッシュバックと呼ばれる状態である。
以上のフラッシュバックの概要は、深刻なトラウマを負った人がそれ以降長期にわたってこのフラッシュバックにさいなまれ、それを引き起こすような刺激を回避する行動をしめる事情を説明している。ただし最近では深刻なトラウマの際に、むしろ交感神経の活動低下と副交感神経の活動昂進による解離症状がみられるタイプが同定され、それはDSM-5において「解離症状を伴う」という特定項目を有したPTSDとして分類されることになっている。その特徴は、離人感か現実感消失のいずれかを伴うものとされている。
2.転換症状としての身体症状
トラウマの身体への刻印とその表現の第二のタイプは、いわゆる転換症状と呼ばれる身体症状である。転換という用語自体は、S.フロイトが無意識の葛藤が症状として反映されていると仮定して用いたものである。ただし「1.フラッシュバックに伴う身体症状」で示した身体症状に比較して、転換症状の生じるその詳細な機序についてはほとんど明らかにされていないと言わざるを得ない。転換症状は臨床上は極めて多彩に表現される可能性がある。それを一言で表現するならば、「機能的な神経学的症状」となる。通常は個別の随意筋や感覚器官による運動機能や感覚機能は、そこに器質因がうかがわれる際には神経学的症状として、神経内科や脳神経外科の扱う対象となる。
例えば声が出ないという症状があるとしたら、声帯そのものの異常所見が見いだされないのであれば、次に声帯に向かう運動神経(反回神経など)に何らかの器質的な原因を探ることになる。神経が途中で損傷されていたり、腫瘍や脊椎などにより圧迫されていたりする場合が考えられるだろう。しかしそれらの病変が見つからない場合には、それは「機能的」な神経学的症状として記載する以外にない。この「機能的な」症状とは苦し紛れではあってもそれ以外に表現しようのない状態像の表現なのである。つまりそれは「声帯やそれに向かう神経には明らかな病変はないが、それでもなぜか声が出ない状態」を意味し、原因不明であることを言外に含んでいる。そしてこの表現が、最新の診断基準であるDSM-5(2013)およびICD-10(2018)では「転換性障害」にかわって用いられていることに注目すべきである(DSM-5では「機能性神経症状障害」、ICD-11では「解離性神経症状障害」と表現されている)。すなわち従来はフロイトが無意識の葛藤が身体に転換された機序そのものの信憑性を問い直す形となっている。
更には従来転換性障害と同様に用いられていた「心因性psychogenic 」という表現も、DSM-5やICD11では用いられていないことも注目すべきであろう。「心因性」とうたうからには、その症状がある程度理解可能な精神的な原因があることを想定していることになるが、その表現さえ用いないことで、私たちはこれらの「機能性神経症状」について何らかの原因を求めることを保留したものと考えられるだろう。
ところでこれらを前提とした上で、この機能性神経症状において何が起きているのかをもう一歩進んで考えてみよう。ここで話を単純化するために、機能性の運動障害の中でも失声症を選び、それに限定して考えてみる。人の脳は「声を出せ」という命令を、声帯や横隔膜その他の随意筋に向かう運動神経に対して伝えることによって発声が生じる。そしてその命令を出す部位は運動野のすぐ隣に位置する運動前野であり、そこから高次運動野を介して一次運動野に指令が渡ることになる。ところが運動前野には、脳のほかの部位からも指令が伝えられる可能性がある。例えば何かに驚いて思わず叫びそうになった時に、周囲の人への影響を考えてそれを抑えるという場合を考えよう。その場合は一度声帯その他の筋肉に「動かせ」と命令を送りかけた運動前野には「やはり声を出すな」という抑制がかかることになる。そして結果的に声が出なくても本人には特に違和感はないはずだ。それは自分の意思で声を出すのを抑えた、という実感を持つからである。しかし心の別の部分から「声を出すな」という運動抑制の命令が運動前野に送られ、そしてその当人が、その命令が出たことを知らない場合はどうだろう?
機能性の神経症状症では、この不思議な事態が生じていると考えざるを得ない。ただし上述の例での運動抑制が運動前野よりさらに脳の「上位」の部位、たとえば帯状回運動野などの運動連合野において生じているのか、あるいは「下位」の高次運動野に生じているのかは不明である。そして無論この「心の別の部分」が何をさすのかも明らかではない。すると機能性の神経症状とは、当人の意識に上らない形での、原因不明の運動機能や感覚機能の抑制(ないしは逆に賦活の場合もありうる)が生じる事態と言い換えることができる。
ちなみに「心の別の部分」については、精神分析的には前意識、ないし無意識などと説明されることになろう。100年前のフロイトなら以下のように考えたはずだ。「心の中で抑圧している部分、すなわち無意識がそうさせているのだ。たとえば仕事を休みたいという無意識的な願望かあれば、足が動かないという症状を形成することでその願望が叶うのだ」。ここで解離の概念を用いるならば、脳の中で解離された部分が発生に関する運動を抑制しているということになる。