2016年5月16日月曜日

射幸心 ①

射幸心という名の悪夢 自罰傾向は人の本性である

今日から射幸心の章の二度目である。


射幸心の不思議

「射幸心」という言葉を聞いたことがあるだろうか?英語では gambling spirit とか言うらしいが、それでは雰囲気が出ない。思わず賭けてみたくなる、賭け心をそそられる、ということだ。「射幸心」とは字通り考えれば、幸福という的(まと)を矢で射抜きたいという願望ということになるが、そこにアヤしいギャンブルのにおいがある。射幸心は私たち人間が持つ不埒な願望であり、ギャンブルの胴元はそれを巧みに刺激して、ギャンブラーたちを破滅への道に誘いこむのだ。いったいこの射幸心とは、報酬系とどのように関係しているのかを考えよう。
 わが国では、ギャンブルといえば、パチンコや競馬である。これらの公営ギャンブルは、「遊戯」ということになっているようだ。だから公営ギャンブルという呼び方も正式なものではなく、公営競技というらしい。呼び方はともかく、ギャンブルが、本当の意味での「遊戯、競技」とどこが違うのかを、人は考えたことがあるだろうか?それは射幸心が介在しているか否か、ということになる。それでは射幸心とは何か?
身近な例から取り上げよう。パチンコは日本に特有の「遊戯」であり、もちろん単なる遊びにはとどまっていない。年間200万円も300万円もそれにつぎ込む「ヘビーユーザー」たちが産業を支えているともいう。その業界で最近問題になっているのが、「クギ曲げ問題」であるという。簡単に言えば、釘の間隔を操作することで、射幸心を増すという違法行為だ。私もパチンコをこれまでに23度(たった!?)やったことがあるからわかるが、玉を弾いて台の頂上付近で落下させるわけだが、その一番頂上にある穴が「中央入賞口」だというそうだ。そこに入ると大当たりだが、その周辺に逸れると運が良ければ小口の「一般入賞口」に入り、それ以外の大部分の玉はどこにも掠らず台の下まで落ちて、穴に吸い込まれていってしまう。
さてその「中央口」と「一般口」に玉が入る確率は業界で定められていて、それを満たすような釘の間隔というのが存在する。ところがパチンコの業者はそれを勝手に曲げてしまい、「中央口」に入りやすく、「一般口」には入りにくくする。それが格段に「遊技者」のやる気を引き出し、要するに射幸心を増すということだ。
ではどうして警察もそのような題を規制しないかということであるが、実は題を検査する「保安通信協会」には警察OBが入っているというのだから、検査がアマくなるのは当然と言わなければならない。
ちなみにこの問題が深刻なのは、レジャー白書によると、パチンコにおける1人当たりの平均消費金額は1989年が年間50万円ほどだったのに対し、2014年は年間300万円ほどと約6倍に跳ね上がっているというような問題が起きているからだ。それだけギャンブル性の高いパチンコ台に多額のお金を注ぎ込んでいる人が多いとみられ、家族を巻き込んだ多重債務問題につながっているとの指摘が出ている。(以上の数行、ちょっと、ネットのコピペをしてしまいました。)

コピペはまあいいとして(よくないか?)、中央口だけ入りやすく、一般口が入りにくいという操作が、どうして射幸心を増すかは、おそらくピンとこないだろう。私も来ないが、おそらくしばらくパチンコを打っているうちに、体感されるのであろう。理屈では説明できなくても。そしてそこには確かに脳科学的な根拠があるのである。