2016年5月15日日曜日

嘘 2 ⑰

あれ?日付の設定を間違えていたようだ。

最後にこのテーマについて、とても興味深い説を唱えている人がいることを紹介しておきたい。ウィリアム・フォン・ヒッペルと進化生物学者ロバート・トリヴァースの論文だ。彼らによれば、自己欺瞞の能力は他人にそれと見破られる可能性を排除するために進化したという。(意識と無意識のあいだ マイケル・コーバリス著、鍛原多惠子訳 講談社ブルーバックス 1915年)。(元の論文は、Von Hippel W, Trivers R: The evolution and psychology of self-deception. Behavioral and Brain Sciences 2011, 34:1-16.)
  わかりやすく言えばこんなことだ。人は嘘をつくとき、それを嘘と知っている場合にはそれが態度に出てしまう。だからそれを信じ込むことが適応的というわけだ。ある人が真実と異なることを主張したとしよう。それが虚偽であることは誰の目にも明らかである。しかしその人にとってはいつの間にか、それが真実と感じられてしまうとしたら、それがその個人のためになるというわけだ。
 著者たちはここでこのブログのテーマである報酬系にとっても重要な点を指摘する。それは自己欺瞞は意図的に嘘をつくことによる多大な労作を軽減してくる。そこには罪悪感に関連した心的ストレスや、嘘をつき続けるために必要な認知プロセスをも含むだろう。簡単に言えば人は自己欺瞞により省エネをするのだ。その意味で自己一致は快感に通じている。そしておそらく虚偽を真実にすり替えることは、脳科学的にはさほど難しいことではないのだろう。だからいわゆる偽りの記憶、という現象も存在する。
 偽りの記憶の権威であるエリザベス・ロフタスは、彼女自身が見たはずのない母親の死体の様子をまざまざと回想することが出来るという。またジャン・ピアジェは、
4歳の頃目の前で暴行を受けた乳母の顔を思い出すことが出来(後に乳母の狂言だとわかった)、ヒラリー・クリントンはボスニアを訪問したときに狙撃を受けそうになったという記憶について語るが、実際にはそのような事実はなかったとのことである。(すべて上述の書「意識と無意識のあいだ」に書かれている例。)
ちなみにこの両著者は、その自己欺瞞が可能なための心の機制として、解離をあげている。これも興味深い。ただしこの解離には、意識的記憶と無意識的記憶、自動的な心的内容と意識的な心的内容、など様々なものが想定され、解離の概念の拡張が必要かもしれない。
ところで前出のトリヴァースという学者の「互恵的利他行動」という概念も興味深い。Wikipedia の該当項目を参照する。

「互恵的利他行動は無条件ではない。まず協力することで余剰の利益を見込めなければならない。そのためには受益者の利益が行為者のコストよりも有意に大きくなければならない。次に立場が逆転した場合に先の受益者が返礼しなければならない。そうしなければ通常、最初の行為者は次回からその相手への利他的行動を取りやめる。互恵主義者が非互恵主義者による搾取を避けるために、互恵主義者は「いかさま師」を特定し、記憶し、罰するメカニズムがなければならない。最初は利他的に振る舞うが、相手も利他主義者でない場合には援助を取り下げるこの戦略はゲーム理論しっぺ返し戦略と酷似している。おそらく互恵的利他主義のもっとも良い例であるのは、チスイコウモリの血液のやりとりである。チスイコウモリは集団で洞穴などに住み、夜間にほ乳類などの血を吸う。しかし20%程度の個体は全く血を吸うことができずに夜明けを迎える。これは彼らにとってしばしば致命的な状況をもたらす。この場合、血を十分に吸った個体は飢えた仲間に血を分け与える。それによって受益者の利益(延長される餓死までの時間)は失われる行為者の利益(縮小される餓死までの時間)を上回る。また返礼をしない個体は仲間からの援助を失い、群れから追い出される。より身近な例はインターネットファイル共有コミュニティである。他者からダウンロードしたファイルを共有することを拒否する人はヒル(Leecher)と呼ばれ、そのような人の情報は参加者の間で共有されて、コミュニティへの参加を拒否される。」(引用終わり)

 まさにこの文中に書かれていることだが、他人の血ばかり吸い続ける人は結局はその集団から追い出される。そういう人を英語ではleech (蛭)というらしい。ということは、少しでもその集団から追い出されるのを遅くするためには、自分が蛭であることに気が付かず、後ろめたさも見せずに堂々と血を吸わなくてはならないということか。