報酬系と不正問題-嘘の応用問題として
最後は応用問題である。たびたびニュースで話題となる、企業や団体の不正の問題。これをどのように考えるべきか。これは嘘や自己欺瞞のいずれと関係しているのだろうか?
人間社会はよほど不正が好きと見える。最近もM自動車が会社ぐるみで20年以上にもわたり燃費に関するデータの不正な操作を行っていたという。この不正の問題はこれまで私たちが考えて来た自己欺瞞や「小さな嘘」とは問題の性質が違う。それは組織全体がそれを共有し、かつ維持していたという点においてである。
このような問題に対する私たちの反応は極めて画一的でパターン化しているといわざるを得ない。「このような不正は許されることではない。」「その企業に自浄作用がないことが問題だ。」もちろんその通りである。どのテレビのキャスターもそれしか言わない。
他方個人のレベルの反応には少し違いがあるだろう。テレビのキャスターに同一化した「とんでもない話だ」という反応の一方では、「これ、起きちゃうんだよねえ」という反応もあろう。団体での不正の問題は、おそらく大部分の組織において、ある程度はおきているというのが私の見方である。私たちの多くが何らかの組織に属している以上、その不正を起こすメンタリティにも親和性があるのだ。組織での不正は決して人事ではない。それは端的にいって、不正を行うことが快楽原則に従うからである。私たちはこの報酬系からの囁きかけに抗うことは出来ない。
私たちは自分とは無関係な組織が起こした不正については、それを聞いただけで「とんでもないことだ」という反応をする。私たちの多くが何らかの組織に属し、そこですでに不正が行われていて、場合によっては自分もある程度関わっているのに、どうしてその私たちが、他人の不正についてはそれを許せないと思うのだろうか?それは自分たちの不正に関しては、それが特別な事情があり、やむをえないことであり、罪悪感をさほど持っていないから、である。そう、この内部の人間の罪悪感の麻痺があるからこそ、組織の不正はなくならないのである。
具体例を示さなくてはならない。M自動車と限定をすることなく、ある自動車会社で起きたと想像される次の様な社員同士の会話について考える。
上司:「また政府が厳しい燃費の水準「リットルあたりXキロ」を示してきた。わが社はどうがんばってもX-2キロが精一杯だ。」
部下:「困ったことになりました。A社が、その基準をクリアする車を開発したと、先程発表しました。リットル当たりX+1キロを達成したといいます。」
上司:「何?それは困った。どうにかならないのか?」
部下:「どうにか、といわれても・・・・。」
上司:「もしA社がその車を発売したら、わが社の車は、まったく競争力がなくなるぞ。売り上げゼロだ。わが社が生き残るためには、X+2キロを達成しなければならない。」
部下:「しなければいい、と言ってもこれ以上車の改善をすることは、今のペースでは不可能です。」
上司:「とにかく燃費データをリットルあたりX+2キロ達成したことにするのだ。」
部下:「えっ、そんなことをしていいんですか・・・・。それじゃ不正データを使用することになり、罪を問われてしまいますよ。」
上司:「君はわかっていないな。そもそもA社のデータの発表、そのまま信じるのか?」
部下:「A社も不正データというわけですか?」
上司:「もちろん確証はない。でもA社の2年前の発表は、リットルあたりX-3キロだった。こんな短期間に、政府の基準を満たせるようになると思うか?」
部下:「確かに、そうですね・・・・・。」
上司:「企業間の競争とはそんなものだ。みんな実際のデータを出しているかは怪しい。そんなものだ。」
部下:「えー、そんな人生観が変わるようなことを言われても・・・・。でも、誰が不正に手を染めるのですか?・・・・・」
上司:「いいか、不正は起きないのだ。誰も『リットルあたりX+2キロ』というデータがどこから来たかはわからないことにするのだ。君も知らない。俺も知らない。この会話も起きていなかったのだ・・・・・。」
部下:「本当に大丈夫なのでしょうか・・・・。」
上司:「いいか、この会話はここまでだ。『リットルX+2キロ達成』という発表をしなければ、わが社は車がとたんに売れなくなる。すると会社は事実上倒産だ。たくさんの社員やその家族が路頭に迷う。その意味ではこのデータを示すかが多くの人々の生活を左右するのだ。それともキミにそれだけの人々を犠牲にするだけの勇気はあるとでもいうのか?」
部下:」「・・・・・・・。」
上司:「まだわかっていないようだな。いいか、これは企業間の申し合わせのようなものだ。もっと言えば政府もそこに加わっていると考えていい。彼らも実は燃費が実際にそこまで高くなることなど無理だということを、どこかで知っているのだ。でも彼らにも、この燃費の達成目標を提示する、それなりの事情があるのだ・・・・・・。俺も10年前にこの業界に入ったときは信じられなかった。でも今では開き直っている。そういうものだと思っている。それに考えてみろ。『わが社はリットルあたりX+2キロを達成』、ということで、誰か人が死んだり犠牲になったりするのか?実際に誰が実害をこうむるのだ?乗る側も『やった!こんな高燃費の車を買うことが出来て、節約になった』と大喜びだろう。誰も犠牲にはならないのだ。人を殺したり、物を盗んだり、という類の犯罪とはまったく別の話だ。」
書いているうちに、私も勇気が出てきた。この上司の言うことはもっともな話だ。もちろん私は、不正の行われたM社以外のA社やB社が不正をしているとは思わない。本当は政府が不正をしているとは絶対に思っていない。だから、上に書いた会話は、全くの私の空想、架空の話だ。ただこの種の不正が起き、それが後ろめたさを起こさないとしたら、そしてそれをごく普通の善良な市民でさえ起こすとしたら、この種の考え方が必然となる、それだけだ。