ここに書いたシナリオはすべて私の想像だが、不正を働く人々(すなわち私たち)の間で行われている会話と見て間違いないだろう。その際、「他のところもみなやっている」、「これまでそうしてきた」というロジックは強烈に働く。いかに善良な人でも、入職したばかりの会社で、先輩から手取り足取り教わった仕事の内容が、どこまで不正に関与しているかは判断のしようがない。「ここの数値を、こちらに記載するように」といわれたら、その通りに書類を作成するだろう。実はそれが不正な文書として決定的な役割を果たすかもしれないが、あなたはそれを知らない。しかしある程度仕事を始めて、徐々に「あれ?」と気がつく。最初は漠然とした疑問だ。そのうち徐々に心の中で明らかになっていく。しかしそれでも確信が持てずに、恐る恐る周囲の一番聞きやすい同僚や上司に尋ねてみる。そこから先は先ほどのような会話が行われるであろう。
自分が不正に加担しているのではないかと感じ始めた時点で、さっそくその不正を正すために公的機関に通報する、という人がいるだろうか?彼はそれによりせっかく得た職を失い、一家を支えることが出来なくなるかもしれないのだ。組織における不正に加担することを一切拒否するとしたら、おそらくその人のほうがどこか変わっていて、融通が利かず、「話がわからず」、他人とうまくやっていけない、すなわち健全な社会人とはいえないという可能性すらある。なんとオソロシイことだろう?組織ぐるみでの不正が、実は私たちが正常であるからこそ起きるとしたら。
ところで組織において不正を働く人は、これまで考えた「弱い嘘」や自己欺瞞の傾向を持つのだろうか?あるいは組織において不正に加担する人の心に起きていることは「弱い嘘」や自己欺瞞と同じなのだろうか?否、いずれとも異なるだろう。第一に彼らは、その人個人としては嘘や自己欺瞞とは無縁の人である可能性がある。その彼が不正に手を染め続けるとすれば、それが「皆がやっていること、その意味で後ろめたさを本来もつ必要のないもの」という意識であろう。いわば治外法権としての世界でぎりぎり合法的な活動を行っているという意識に近いかもしれない。ただしそこでの法律はすべて不文律であり、暗黙のうちにしかその内容は伝えられないことであるが。