「雨の日脳」とセロトニン
さてエレイン・フォックスは、雨の日脳サーキット rainy brain circuitというものを考える。それは基本的にはアラームシステムとしての扁桃核と前頭葉の結びつきであるという。アラームシステムは雨の日脳の人は特に「鳴り」やすい。ちょっとした不都合な事態でも「大変だ!!」ということになりやすいのだ。ところが前頭葉は「前も大丈夫だったでしょ。世話ぁない。」ということになる。雨の日脳の人は、この扁桃核と前頭様の協調が、どちらかと言えば活発ということになる。
さて、では「晴れの日脳」とは何か?ここでやっと出てくるのが、側坐核を中心とする報酬系だ。ここもまだ前頭葉と引っ張りっこをしている。Sunny brain circuit とは側坐核―前頭葉ということになる。晴れの日脳の人は心地よいことを考え慣れ、それを志向するということだ。
フォックスさんの研究で、カードに対する反射時間を調べるというものがある。心地よい絵と、不快な絵を見せ、それぞれにある種のマーキングを行う。そのマーキングが見えたらボタンを押すというテストをすると、晴れの日脳の人は、心地よい絵についたマーキングに対して、不快な絵の場合より若干早くボタンを押す。雨の日脳の人の場合はその逆というわけだ。そしてさらに面白いのは、雨の日脳タイプの反応をしていた人に、晴れの日脳タイプの反応をする練習をしてもらうことで、そうなれるという。つまりはコンピューターを使ってトレーニングをすることで、悲観的な人も楽観的になれるというわけだ。本当だろうか?
一つの教訓がある。世の中には、報酬系をいつも「鳴らしている」人たちがいる。「ああ、気持ちいいなあ、面白いなあ」と思いながら生きている。幸せな人たちだ。いや、皮肉ではなく。報酬系はマイルドに興奮している分には私たちに幸せを運んでくれる。ただし調子に乗ってそれをもっと興奮させようとする人間のサガがあり、それがその人の人生を破綻に導く。豊かな精神がそれに歯止めをかける。「衣食足りて礼節を知る」、というが、衣食が足りることで報酬系が緩徐に刺激されれば、それで満足できるような高邁な精神だけではないのだ。
そして現代社会が報酬系過剰刺激の拍車をかける。コンビニに行けば24時間、安く口当たりのいいものが提供される。手元においておけば始終楽しむことの出来るゲーム機(別名スマホ)がある。報酬系刺激はほどほどに、という原則は、それを破ることへの歯止め(お金、労力)があって守られる。現代社会はその歯止めを失いつつあるのである。