2016年4月13日水曜日

嘘 ③


ちなみに類似の状態として解離がある。しかし解離の場合は、別の人格状態が真実を語りだす、あるいは過去の記憶を保持しないという様子が見られることになるが、OB方氏からはそれを示すものが伝わってこない。
スプリッティングという機制を用いることで、それを用いない通常の人ならとても考えられないようなことが彼女には可能になる。一方ではファンタジーに浸り、その世界で快楽を味わう。そして今度は現実の世界に戻って嘘が露見することを防ぐべく努力する。Aの世界とBの世界。彼女はその間を比較的自由に行き来できたはずである。しかし両者はそれでもスプリットされ、十分に分かれていたからこそ、Aの世界でのファンタジーは快楽を与えたはずだ。それはそうだろう。嘘をつきながら、まもなくそれがばれるということを同時に考えていたら、嘘による偽りの喜びに浸れるわけなどないはずだからだ。心に同時にありながら、個別に体験できる。スプリッティングとはそういう機制を指すのだ。
このスプリッティングは奇妙な状態といえるが、たとえば依存症などではしばしば見られる。パチンコが自分にも家族にもよくないことがわかっていながら、どうして人はパチンコ屋に日参するのだろう? あるいは覚せい剤が身を滅ぼしているとわかっていて、どうしてやめられないのだろう? パチンコも覚せい剤も、やっている最中はその快感に抗うことが出来ない。その瞬間はもう片方の現実を忘れるのだ。そしてそれがOB方さんの嘘とどこが違うのだろうか?恐らく本質的には違わないのだ。
しかしここまで書いて、私が怠っているのは、小保方晴子氏の手記『あの日』(講談社)を読むことなのだ。実は読んでいない。あまり興味はないし、それに読書嫌いだし・・・・。でもそのエッセンスを伝えるサイトを見つけた。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/28/obokata-note_n_9104078.html
 細かい話は省略するが、やはり彼女は単に嘘の上に嘘を構築している、というのでもなさそうだ。おそらく彼女の話には、自分にも他人にも不正直なところが含まれているのであろう。敢えて見るところを見ずしてストーリーを作り上げてしまっている。たとえば、データ改ざんについては、次のように述べているという。 

図表加工が改竄を疑われるとは「思いもしなかった」

私は学生時代に、バンドの濃さで示される量ではなく、バンドの有無を論文の図表で示す場合には、曖昧ではなく明確に示すべきだと指導を受けたことがあり、あるか、ないか、を見やすく加工することが改竄を疑われる行為だとは思いもしなかった。

どうだろう?「自分はこのような指導を受けた。」「あるかないかを見やすく加工することが必要だ」だから他のところから取ってきてもOK. ということになる。それはおそらく彼女が心の中で行っていた理由づけでもあるのだろう。細かい虚偽の積み重ね。それは積み重ねられることによりスタップ細胞が存在する、というストーリーまで構築される。それぞれの過程で彼女の中では安易で心地よい選択へと流されたのである。