2015年4月19日日曜日

精神分析と解離(13)


この後、攻撃者の大人は攻撃の事実を否認し、極度に道徳的になる。そして「どうせ子供だから何もわからないだろう」と思う。子供は母親に助けを求めるが、相手にしてもらえない、という記述が続く(以上、同論文298299ページ)。そしてこの記述。
「この観察の科学的な価値は、十分に発達していない子供のパーソナリティは、突然の不快に対し、防衛ではなく、脅してくる、ないしは攻撃してくる人物への同一化と取入れであり、それは恐れに基づいた同一化である。The scientific importance of this ovservation is the assumption that the still not well-developed personality of the child responds to sudden unpleasure, not with defense, but with identification and itrojection of the menacing person or aggressor, identification based on fear.
ここまでの印象だって? う~ん。フェレンツィはすごい。なぜなら現代的なトラウマの考え方をすでにほとんど先取りしているからだ。なぜそういうことができたのか?それは臨床素材をしっかり見ていたからだ。レーベンフックが光学顕微鏡を用いて観察を発表したのは1600年代の後半だが、もし100年前にその顕微鏡を手に入れた人がいたら、同じ植物の細胞の画を描いただろう。フェレンツィもすでに1930年代に、現在のトラウマ論者と同じものを見ていたということになる。
私はフェレンツィのこの論文を部分的に訳してみて、何も付け加えることはない。攻撃者との同一化、取入れという考えは今でも生きていると思う。