「サリバンにとっては、一番の防衛は、フロイトの抑圧ではなく、解離だった。なぜなら一番回避しなくてはならないのは、過去のトラウマの再来だからだ。」このように考えると、対人関係学派=トラウマに基づいた理論=解離に基づいた理論という図式がピッタリくる。どうだろう。わが国では「対人関係学派=60~70年代にはやった、時代遅れの理論」とみられがちだが、全然違うことになる。これほど時代の最先端を行っている理論はない、ということだ。サリバンは半世紀以上時代を先取りしていたということができるだろうか。
さてスターンの立場であるが、彼は「解離を自分の状態を分けるという防衛プロセス」として捉えるという。まあこれは立場だから仕方がないな。私にとっては解離は同時に「起きてしまうもの」だが、スターンは分析の人だが、これを防衛として捉えるという点は譲れないのだろう。となると先ほどの例でいうと、倒れる貴婦人は、それにより自らの心の崩壊を防いでいる、という論法だ。でも自己の状態を分けるということ自体が、心の崩壊というところはあるから、私としてはこの点は譲れないのだが、まあ読み進めてみよう。
「フロイトは言った。抑圧されるべき心の内容は、意識から追い出される repulsedby the CSと同時に無意識に以前抑圧されたものからは吸引されるattracted by previous repressed contents in the UCS 」