2018年6月10日日曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 19



第10章       解離の分析的治療 (1)
解離治療における心理教育
(前田正治、金吉晴偏:PTSDの伝え方―トラウマ臨床と心理教育 誠信書房、2012年 所収)

解離性障害が含む臨床症状の幅は非常に広い。ICD-10 (WHO, 1992) の分類のように、そこに転換症状も含めた場合は、その数や種類は膨大なものとなる。具体的な症状としては、一過性の健忘に始まり、種々の身体症状、離人症状などを含み、複数の人格の極めて重層的な共存状態まで至り、それぞれに異なる診断名が与えられる。表1 にその一部を示したが、このうち「F44.8 他の解離性(転換性)障害」の下にさらに、8つの障害が収められている。
解離は私たちがこれまで考えていたよりも遥かに広くかつ微妙な形で生じ、なおかつ精神科疾患を修飾している可能性がある。そのために患者自身のみならず、患者の家族、ないしは治療者にとっても症状の全貌を捉えにくく、極めて混乱を招きやすい。それだけに心理教育は解離症状に悩むすべての人々にとって非常に大きな意味を持つのである。そしてそれは分析的な治療指針と決して矛盾はしないのである。

表1 ICD-10における解離性障害

F44 解離性[転換性]障害
F44.0 解離性健忘
F44.1 解離性遁走<フーグ>
F44.2 解離性昏迷
F44.3 トランスおよび憑依障害
F44.4 解離性運動障害
F44.5 解離性けいれん<痙攣>
F44.6 解離性無感覚および感覚脱失
F44.7 混合性解離性(転換性)障害
F44.8 他の解離性(転換性)障害
 ( ガンサー症候群、亜急性錯乱状態、急性精神錯乱、
心因性もうろう状態、心因性錯乱、多重パーソナリティ障害、
反応性錯乱、非アルコール性亜急性錯乱状態).
F44.9 解離性(転換性)障害,特定不能のもの


解離性障害の心理教育を進める上で問題となる点について、最初にまとめておきたい。また本章で扱う心理教育の対象としては、患者やその家族のみならず、それを扱う治療者側も想定していることもここに言及しておく。

1. なぜ心理教育が重要なのか ― 診断および治療方針を惑わす要素

解離性障害が含みうる症状が幅広いために、精神科医や心理療法家にとって、それを全体として把握することはかなり難しい。このことは解離性障害がしばしば精神医学的な問題として把握されないことが多い一因となる。実際に神経内科や一般内科において明確な診断に至らないことがきっかけとなり、最終的に解離性の病理が同定されるケースも多い。現在私たちが解離性障害として理解している病態が古くから存在していたことは疑いない。しかしそれらがヒステリーの名と共に認知されていた時代は著しい偏見や誤解の対象とされてきた。このことは解離性障害の一つの大きな特徴であろう。
20世紀になり、統合失調症が大きく脚光を浴びるようになると、解離性障害はその存在自体が過小評価されたり、精神病の一種と混同されたりするようになった。昨今は「解離ブーム」だとの声も聞こえ、一般の人々の間でも、専門家の間でも、解離性障害に新たに光が当てられ始めているが、その診断はしばしば不正確に下され、統合失調症などの精神病と誤診されることも少なくない。
なお我が国は国際トラウマ解離学会の日本支部が機能し始めたが、その啓蒙、教育活動の範囲はまだ限られている(http://www.isst-d.jp/)。
以下にいくつかの項目を挙げ、解離性障害の診断の難しさの理由について述べてみたい。

(とても、とても長い章なので、以下省略)


2018年6月9日土曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 18


第11章    トラウマと精神分析(2) 

初出:こころの科学 特集「トラウマ」、2012年9月号
はじめに
本章では精神分析におけるトラウマについて、解離との関連も含めてさらに論じる。特に最近の新しい動向、すなわち母子間の愛着の問題やストレスもまたトラウマや解離の原因として注目されるようになっているという事情について述べたい。
 心の傷としてのトラウマの概念への関心は、わが国でもここ20~30年の間に急速に高まってきた。そこにはアメリカの精神医学の診断基準であるDSMの1980年度版(American Psychiatric Association, 1980)であるDSM-Ⅲに登場した心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder, 以下PTSDと表記する)の概念が大きく影響しているであろう。さらには1995年に私たちを襲った阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、そして2011年の東日本大震災も、私たちに心の傷の意味を考えさせる機会を与えたのである。
 解離性障害とトラウマについては、両者の深い関連性は精神医学的にはひとつの「常識」となっている。心に衝撃を受けた際の一過性の深刻な解離症状は、DSM-Ⅳより急性ストレス障害Acute stress disorder (American Psychiatric Association, 1994)と呼ばれ、さまざまな臨床研究がなされている。ショックを受けて一時的にボーッとなったり、今自分がどこにいるのか分からなかったり、まるで映画のワンシーンを見ている様な気がしたり、あるいはこれまでの人生で起きたことがパノラマのように目の前に現れたり、ということはみな解離の一種と考えられるわけだ。しかし繰り返される深刻な解離症状については、その原因ははるか昔の、幼少時にさかのぼることが多い。ここで深刻な解離症状とは、人格交代現象などを伴う、いわゆる多重人格、ないし最近では解離性同一性障害(dissociative identity disorder, 以下DID)と呼ばれる状態である。   
 このような事情から解離性障害はPTSDとともに、トラウマ関連障害の代表的なものであると理解されている。しかしトラウマと解離性障害の発症との因果関係を示すことは、実は決して容易ではないという事情がある。PTSDの場合はトラウマの多くは成人期のある限定された機会に生じたもの、あるいは一回限りのもので、そのトラウマはPTSDの発症に先立つ3ヶ月以内に見られることが多い。またそのトラウマはそれを引き起こした出来事が実際に報告されていることも少なくない。たとえば1995年1月の阪神淡路大震災の後に多くの被害者がPTSDを発症したという事実が知られるが、その大震災そのものは世間では誰もが共有している客観的な事実である。ところがDIDの場合は、既に述べたようにその原因となるトラウマの多くは、幼少時にさかのぼることが多く、また閉鎖された空間で生じた可能性が高いため、その事実関係や背景となる事情に客観的な裏付けを与えることはそれだけ困難となるのである。
(これもかなり長い章だから、以下省略)

2018年6月8日金曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 17


第10章       解離の分析的治療 (1)
解離治療における心理教育
(前田正治、金吉晴偏:PTSDの伝え方―トラウマ臨床と心理教育 誠信書房、2012年 所収)

解離性障害が含む臨床症状の幅は非常に広い。ICD-10 (WHO, 1992) の分類のように、そこに転換症状も含めた場合は、その数や種類は膨大なものとなる。具体的な症状としては、一過性の健忘に始まり、種々の身体症状、離人症状などを含み、複数の人格の極めて重層的な共存状態まで至り、それぞれに異なる診断名が与えられる。表1 にその一部を示したが、このうち「F44.8 他の解離性(転換性)障害」の下にさらに、8つの障害が収められている。
解離は私たちがこれまで考えていたよりも遥かに広くかつ微妙な形で生じ、なおかつ精神科疾患を修飾している可能性がある。そのために患者自身のみならず、患者の家族、ないしは治療者にとっても症状の全貌を捉えにくく、極めて混乱を招きやすい。それだけに心理教育は解離症状に悩むすべての人々にとって非常に大きな意味を持つのである。そしてそれは分析的な治療指針と決して矛盾はしないのである。

表1 ICD-10における解離性障害

F44 解離性[転換性]障害
F44.0 解離性健忘
F44.1 解離性遁走<フーグ>
F44.2 解離性昏迷
F44.3 トランスおよび憑依障害
F44.4 解離性運動障害
F44.5 解離性けいれん<痙攣>
F44.6 解離性無感覚および感覚脱失
F44.7 混合性解離性(転換性)障害
F44.8 他の解離性(転換性)障害
 ( ガンサー症候群、亜急性錯乱状態、急性精神錯乱、
心因性もうろう状態、心因性錯乱、多重パーソナリティ障害、
反応性錯乱、非アルコール性亜急性錯乱状態).
F44.9 解離性(転換性)障害,特定不能のもの


解離性障害の心理教育を進める上で問題となる点について、最初にまとめておきたい。また本章で扱う心理教育の対象としては、患者やその家族のみならず、それを扱う治療者側も想定していることもここに言及しておく。

1. なぜ心理教育が重要なのか ― 診断および治療方針を惑わす要素

解離性障害が含みうる症状が幅広いために、精神科医や心理療法家にとって、それを全体として把握することはかなり難しい。このことは解離性障害がしばしば精神医学的な問題として把握されないことが多い一因となる。実際に神経内科や一般内科において明確な診断に至らないことがきっかけとなり、最終的に解離性の病理が同定されるケースも多い。現在私たちが解離性障害として理解している病態が古くから存在していたことは疑いない。しかしそれらがヒステリーの名と共に認知されていた時代は著しい偏見や誤解の対象とされてきた。このことは解離性障害の一つの大きな特徴であろう。
20世紀になり、統合失調症が大きく脚光を浴びるようになると、解離性障害はその存在自体が過小評価されたり、精神病の一種と混同されたりするようになった。昨今は「解離ブーム」だとの声も聞こえ、一般の人々の間でも、専門家の間でも、解離性障害に新たに光が当てられ始めているが、その診断はしばしば不正確に下され、統合失調症などの精神病と誤診されることも少なくない。
なお我が国は国際トラウマ解離学会の日本支部が機能し始めたが、その啓蒙、教育活動の範囲はまだ限られている(http://www.isst-d.jp/)。
以下にいくつかの項目を挙げ、解離性障害の診断の難しさの理由について述べてみたい。

神経学的な疾患を示唆する身体症状をともなうこと

解離性の症状の中でも転換症状は、しばしば精神科医と神経内科医の両方にとって混乱のもととなっている。その一つの典型例は癲(てん)癇(かん)である。脳波検査で異常波を示す患者も転換症状としての発作、すなわち偽性癲癇を来たすこともまれではない。また偽性癲癇の患者の50%は真正の癲癇を伴うという報告もある(Mohmad, et al. 2010)。

(スゴーク長くなりそうなので、以下省略)

2018年6月7日木曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 16


第10章    トラウマと精神分析 (1)
           
はじめに

精神分析はかつては米国を中心にその効果を期待され、広く臨床現場に応用されていたが、現在は全世界的に退潮傾向にあるといわれる。しかし幸いにも我が国においては、精神分析における治療理念は期待を寄せられ、また時には理想化の対象になる場合もある。筆者は精神分析学会とともに日本トラウマティック・ストレス学会にも属しているが、トラウマを治療する人々からも精神分析に対する「期待」が寄せられるのを感じている。それは以下のように言い表すことが出来るだろう(岡野、2016)。
  •    精神分析はその他の心理療法に比べてもより深層にアプローチし、洞察を促すものである。
  •    トラウマに関連した症状が扱われた後に本格的に必要となるプロセスである。
  •    精神分析のトレーニングを経た治療者が、分析的な治療を行う事が出来る。

 しかしこれらの期待は現在の精神分析に耐えうるものなのだろうか? それを本章では考察したい。
 
伝統的な精神分析とトラウマ理論

ここで精神分析家としての私は、多少なりとも自戒の気持ちを持って次の点を明らかにしなくてはならない。それはフロイトが創始した伝統的な精神分析は。残念ながら「トラウマ仕様」ではなかった、ということである。すなわちトラウマを経験した患者に対して治療を行う論理的な素地を十分に有していてなかったということだ。それを説明するうえで、精神分析の歴史を簡単に振り返る必要がある。
フロイトは1897年に「誘惑仮説」を撤回したことから精神分析が成立したという経緯がある。その年の9月に Wilhelm Fliess に向けて送った書簡(マッソン編、2001年)に表された彼の心がわりは、精神分析の成立に大きく寄与していたと言われている。単純なトラウマ理論ではなく、人間のファンタジーや欲動といった精神内界に分け入ることに意義を見出したことが、フロイトの偉大なところで、それによって事実上精神分析の理論が成立した、ということである。この経緯もあり、伝統的な精神分析理論においては、トラウマという言葉や概念は、ある種の禁句的なニュワンスを伴わざるを得なくなった。
その後のフロイトは、1932年の S. Ferenczi による性的外傷を重視する論文に対しては極めて冷淡であった。Ferenczi の論文の内容はフロイトが1897年以前に行っていた主張を繰り返した形だけであるにもかかわらず、フロイトが彼の論文を黙殺したことは驚くべきことである。彼はまた同様に同時代人の Pierre Janet のトラウマ理論や解離の概念を軽視した。このようにして精神分析理論トラウマには、フロイトの時代に一定の溝が作られてしまったのである。
精神分析の立場からトラウマ理論に対して一種の失望の気持ちを持っていることはこの様な経緯を考えればある程度仕方のないことなのかもしれない。たとえば著名な精神分析家の藤山氏は、以下のように書く。
「・・・プレ・サイコアナリシスというか精神分析以前、「ヒステリー研究」の頃のフロイトの考えでは、患者はどちらかというと環境の犠牲者なんです。これは例えば最近のハーマンなどの外傷をやっている人たちの理論と非常に近いんですね。つまり人間の心の病気というのは、心的外傷に基づいているものだという、そういうことになってしまいます。・・・」

(すごく長い章なので、あとは省略)



2018年6月6日水曜日

精紳分析新時代 推敲の推敲 15

第9章 治療の終結について問い直す
― 「自然消滅」としての終結

心理療法の終結、中断、あるいは「自然終結」(松木 邦裕その他編集(2016)心理療法における終結と中断 (京大心理臨床シリーズ)創元社に所収)

本章では治療の終結について論じる。終結をいかに迎え、処理するかは精神分析ではかなり重要な問題として論じられる。それは分析治療が首尾よく行われたかどうかの一つの大きな指標とも考えられる傾向になる。私は本章でそれについて本当にそうであるかをもう一度問い直すことにする。

臨床経験はドロップアウト体験から始まる

そもそも治療はなぜ終了するのか。その答え自体はシンプルである。患者の側に治療に来るだけの動機付けがもはやなくなるからである。ちなみにここで私は「終了」と言った。単に終わること、という意味で、ここにはもちろんさまざまな終わり方が含まれる。それが目標をある程度達成した上で、しかるべき手順を踏む形で生じれば、それは通常は「終結 termination」と呼ばれる。そしてそれが患者の側から一方的に、しかも本格的な治療が始る前にもたらされる場合には、「中断 interruption」ということになる。ただし私には後者は「ドロップアウト」という表現の方がなじみがある。「ドロップアウト」はする側にもされるに側も、失敗、望ましくない形で生じたこと、というニュアンスがある。治療者の側には、一度は担当することになったはずのケースが手からすり抜ける(「ドロップ」する)無念さという印象を伝える。場合によっては胸が痛み、トラウマにさえなる「ドロップアウト」の体験は、実は初心の治療者が経験を積む上での出発点でもあるのだ。
ところで、そもそもケースがドロップすることなく、きちんとした終結が迎えられるケースは、どの程度存在するのだろうか? もちろん治療者により異なるであろうが、米国の少し古いメタアナリシスは、心理療法のドロップアウト率として47%という数字を伝える(Wierzbicki,1993)。もしそうであれば、ビギナーの場合には、一旦治療が開始された患者がドロップアウトの末に三分の一残れば、それで上出来ではないか。
最近の研究はドロップアウト率として20%前後という少し安心する数字を挙げている(Swift, 2012)が、臨床現場にいると、心理療法の初回面接に訪れた人の半分以上は、やはりドロップアウトしてしまうという印象を持つ。特にほかの臨床家から紹介されたのではなく、広告などを見て直接カウンセリングを求めてやってきた人のドロップアウトはかなり高率で生じる。「カウンセリングとはこういうものだろう」と想像していたものと実際の雰囲気とがあまりにかけ離れているために失望してしまうのだ。

(すごーく長い章なので、以下省略)

2018年6月5日火曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 14


第8章 社交恐怖への精神分析的アプローチを考える

(対人恐怖-精神分析による理論と治療 精神療法 37, 396-404, 2011)

 そもそも対人恐怖とは

わが国において従来頻繁に論じられてきた対人恐怖(現在では社交不安障害と呼ばれているものが概ねこれに相当する)は、精神分析的にはどのように扱われているのかというのが本章のテーマである。対人恐怖と精神分析というテーマについて考える際は、わが国における精神分析の草創期に、森田正馬が分析に示した姿勢を思い出す。対人恐怖についてもフロイト的なリビドー論に従った理解を示す精神分析の論客達に対して、森田は果敢に論戦を挑んだと言われる。それから約一世紀たつが、果たして精神分析は対人恐怖を扱う理論的な素地や治療方針を提供するに至ったのだろうか?
 まず精神分析ということをいったん頭から取り去り、対人恐怖とは何かについて論じることからはじめたい。しかし最終的に示したいのは、社交恐怖についてもしっかりとした先進分析的な理論が存在するということである。
私個人は、対人恐怖とは「対人間(たいじんかん)における時間をめぐる闘いの病」と表現することが出来ると考える。対人恐怖は 自分と他者との間に生じる相克であるが、そこに時間の要素が決定的な形で関与しているということだ。
一般に自己表現には無時間的なものと時間的なものがある。無時間的とは、すでに表現されるべき内容は完成されていて、後は聴衆に対して公開されるだけのものである。すでに公開されている絵画や小説などを考えればいいであろう。動画や映画のようなものも含まれる。表現者が表現する行為は事実上終わっていて、その内容自体は基本的には変更されない。それが展示されたり出版されたりする瞬間に、作者は完全にどこかに消え去っていてもいい。それらが人々からどのような反応を得たかについて、作者はまったく知らないでもすむのである。

2018年6月4日月曜日

解離の覚書 2

ネットワークと他者性
  極めて重要なのは、ある体験が自己由来のものか、他者由来のものかについて、私たちはその弁別を行う極めて優れた能力を有しているということである。おそらくこの問題は、知覚と表象の区別とも関係しているが、まあそれはさておき。なぜこの問題が重要かといえば、DIDにおいてはある声が、思考が他者のものか、という感覚は決定的なものだからだ。
  少し思考実験である。自分の右手と左手を互いに握ってみる。特に不思議な印象はないだろう。ところがもしそれを他人の手としたらどうか。気持ち悪い、照れくさい、嬉しい、などと様々な情緒を生むであろうが、それは相手が他者であるということを想定しているからだ。この場合どちらがより自然な体験なのか。おそらくより自然なのは他者の手と接触しているという感覚である。それがその生命体にとって生存を保証する可能性が高く、また回避行動をより効率良く行わせるであろうからだ。すると自分の手を合わせる際にはある種の抑制が働いていることにある。自分が自分を触っているのだ、ということを知らしめるような、あらゆる情緒反応を抑制するような仕組みが備わっていることになる。すると解離においては、これが抑制を受けているということだろうか?
  もう一つは、なぜ一定のネットワークが他者性を帯びるのか、という問題である。イップスの場合、人は外側から強制的に力が加わる、あるいは抜けるという体験をする。つまり能動性が欠如するわけであるが、そもそも能動感とは、ある意図を持って信号を送る、命令を下す、という主観的な体験により体得されていく。もしある信号がどこからか聞こえてきて、体が勝手に動いたらどうなるか?人は操られていると思うだろう。
では後催眠暗示はどうか?その場合、「〇〇のことが起きたら、✖️✖️する」(例えば術者が手を叩いたら立ち上がりドアの方向に歩いていくなど)という暗示はあらかじめ催眠をかけた他者からの言葉により与えられる。催眠が解けて手を叩く音を聞いた時にドアの方向に歩いていく人は、大抵それを不思議に思うのではなく理由を付ける。その場合他者性は感じられていないのであろう。そしてこれは分断脳で起きることと類似している。左脳が右脳の行動に理由をつけるときは、大抵はそこに違和感は感じられていない。このように私たちの脳は意外なほどに、他者由来のものを取り込み、自分のものにしてしまう。統合失調症なども幻聴の内容を信じ込む傾向は、むしろこの同化傾向の過剰さを表しているのである。そしてそれとの対比で実に不思議なのが、解離における他者性の出現なのである。
なぜこれが生じるのか。
しつこいようだが、ある考えを持つ場合、それが実はAさんの意見であって自分のそれではない、ということを私たちはどうやって理解しているのだろうか? ある種のタグ付けがなされているということかもしれない。あたかも免疫学で、他者由来の臓器には抗原抗体反応を起こしてしまうような仕組みに似たものが、思考や表象にも生じているのだろうか。
  ある体験を構成するのは、ネットワークの同時発火である.これは同期化かも知れないが確証はない。もしHebb則が正しいのであれば. 同時に発火することは目りがAさんをまとまったイメージとともに体験するのは、それぞれが同期するから.Aさんの顔と声のイメージは同期するように定められている。おそらく同期化だけではなく、周波数も定められている。そう考えると.それぞれの人格が個有の周波数を持つことで説明ができるだろう。
人格達のふるまいは明らかに異なるネットワーク活動の共存ないしは混線がおきている。なゼなら自我障害が見られないから。共存の例として,体の一部かモザイク状に感じなくなる。