さてあらゆる意味でAIはこのチューリングテストに合格するといえるであろう。そしてその意味では、AIはチューリングが言うところの「知性 intelligence」を有するといえる。そしてそれは【心】と同等のものと考えられる。つまりAIは事実上心として振舞っているわけである。 さてここではっきりしておかなくてはならないのは、今のままでは心と【心】は決定的に違うものであるということだ。なぜなら【心】は主観を持たず、クオリアや感情を持たないからである。ここでいうクオリアとは「質感」のことだ。これはお分かりだろうか。 例えば「猫」のクオリアを考えてみよう。あのフワフワ、モフモフの、ゴロニャーンと鳴く、ペットとして飼われる小動物だ。そうして少なくともAIはこのクオリアを体験できない、すなわち感覚を持たないわけである。例えばメロディーを聞いて、景色を見て、それを言葉で表すという場面を考えればわかるであろう。何しろAIは聴覚や視覚や嗅覚を持たないからである。もちろんAIに音声入力とか画像入力を行うことは出来る。しかしAIは、「猫の画像を入力してください。そうでないと猫とはどういうものかがわかりません」とは特に要求してこない。だからAIの猫の理解が、視覚像や聴覚像を欠いている事はまぎれもない事実なのだ。 さてここで私たちの心に浮かぶのは次の疑問である。「知性としての【心】は、それでも物事を『理解』しているとは言えないのか。なぜならばAIは自分は感じていない、とは言うものの、理解していない、とは明言しないからなのである。そこで物事を理解するとはどういうことかを改めて考えてみたい。そもそも物事を理解するとはどういうことか。 人がある事柄Xを「理解」していることを私たちはどのように確かめているのか?ということについて考える際に一番わかりやすい例が口頭試問の例である。ある学生が「転移の概念」(別に何でもいいのだが)という卒論を書いたとする。そして口頭試問で以下のような試験官とのやり取りが生じる。
試験官:「要するに転移とはどういうことなんですか? ひとことに要約して下さい。」
生徒:「・・・・・・」
試験官:「やはり分かってないんですね。」
そう、人が物事を理解しているかどうかを知る一番手っ取り早い方法は、それを要約したり、言い換えたり、象徴化したりすることができるかを知ることである。しかしこの要約ということをChatGPTなどの対話型AIは最も得意とする!!!
ここで改めて問うてみよう。ある機械が一つの文章の内容を自在にまとめ要約することができ、また言い換えることが出来る場合、その機械はその論文を事実上理解しているとは言えないだろうか?