2021年4月7日水曜日

解離性健忘 2

 DSMのテキストだから直すところなどないだろうと思っていたら、結構全編書き直しのようになって、やっていて面白いことが分かった。

診断的特徴

解離性健忘はその健忘に解離の機制が関与しているものであり、基本的にはその人の心の一部に記憶内容が隔離された状態で保存されているという前提がある。その生成には基本的に二種類が考えられる。それはその出来事の最中に人格の解離が生じた場合と、その最中にトランス状態や解離性の昏迷状態になった場合である。前者の場合はその時出現した人格状態での記銘が行われることになるが、後者の場合海馬が強く抑制されることで、自伝的記憶部分については記銘自体が損なわれることにもなりうる。するとその出来事のうち情緒的な部分のみが心に刻印される、いわゆるトラウマ記憶の生成が起きる。後者の場合その自伝的な部分は記銘そのものが損なわれている可能性があり、のちの想起も難しくなる。

DSM—5ではこれを限局性健忘、選択的健忘、全般性健忘、系統的健忘に分類する。

限局性健忘は,限定された期間に生じた出来事が思い出せないという、解離性健忘では最も一般的な形態である。通常は一つの外傷的な出来事が健忘の対象となるが、児童虐待や激しい戦闘体験、長期間の監禁のような場合にはそれが数力月または数年間の健忘を起こすことがある。

2021年4月6日火曜日

解離性健忘 1

 ある出版社から、「本日の精神科治療〇〇〇ブック」を企画するので「解離性健忘」と「パーソナリティ症の『離隔』」の項目の依頼が来た。似たような名前の企画や出版物はほかの出版社からは出されているが、この出版社としては初めてのものらしい。しかしこれを受けることについてはビミョウである。まずここには教科書的な内容を書くしかない。すでに定まっている定説の解説だ。つまりここに創造的な要素は組み込むことが出来ない。私にとってのベンキョウになるだけだ。さらにDSM-5が出版されたことで、いわば世界が準拠するテキストはすでに提示されているわけだ。「解離性健忘」の十分なボリュームと内容のテキストは、すでに米国の多くのエキスパートの合意が出来ていて、それがDSM-5の分厚い本(ポケット版ではなく)として出版され、その立派な日本語訳が出来上がっている。それをもとに書くことにどうしてもなりそうだが、そこに私の判断で何かを付け加えたり、訂正したり、という様な余裕などあるのだろうか? まあ最初はDSM-5のテキストを参照するという所から始めよう。

解離性健忘は2013年のDSM-5のテキスト(日本語訳)では、以下のように定義されている。( )内は私のつぶやきだ。

解離性健忘

Dissociative Amnesia

A 重要な自伝的情報で,通常,心的外傷的またはストレスの強い性質をもつものの想起が不可能であり,通常の物忘れでは説明ができない(まあいいか。でもストレスの性質が強くないことだって健忘の対象になるよね。自伝的情報、はautobiographical informationの訳だが、間違いではないけれどわかりにくい。「個人史に関する情報」のほうがいいか。)

注: 解離性健忘のほとんどが,特定の一つまたは複数の出来事についての限局的または選択的健忘であるが、もしくは,または同一性および生活史についての全般性健忘である(添削が始まってしまった。)

B その症状は,臨床的に顕著な意味のある苦痛,または社会的,職業的,または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている(significant は「相当の」という風に訳すべきだろう。)

C その障害は,物質(例:アルコールまたは他の乱用薬物,医薬品),または神経疾患または他の医学的疾患(例:複雑部分発作,一過性全健忘,閉鎖性頭部外傷・外傷性脳損傷の後遺症,他の神経疾患)の生理学的作用によるものではない

.D その障害は、解離性同一性症,心的外傷後ストレス障害,急性ストレス障害,身体症状症,または重度ないし認知症または軽度認知障害によつてうまく説明できない

コードする時の注;解離性とん走を伴わない解離性健忘のコードは300.12(F44.0)解離性とん走を伴う解離性健忘のコードは30013(F44.1)

▼ 該当すれば特定せよ 300.13.(F44.1)解離性とん走を伴う:一見意図された目的をもった旅行や当てのない道に迷った放浪のように見え,自分のアイデンティティ同一性 または他の重要な自伝的情報の健忘を伴うもの

2021年4月5日月曜日

エッセイの書き直し 推敲 3

 以上のことから、このエッセイの一応の結論を述べよう。やはりハーマン先生のCPTSDの概念の提出は偉業であった。慢性のトラウマを体験した人々の精神障害についてのプロトタイプとして掲げられたCPTSD概念には大きな意義があり、ICD-11への掲載により、この問題に対する啓発という目的は達成された。ただしパーソナリティ障害とCPTSD関連という問題に関しては、一つの課題を残した。CPTSD≒従来のヒステリー≒DID、SDというところまではいいが、それが≒BPDであるという点は、その趣旨は分かるが単純化されすぎていたために、多くの識者の賛同を得られるに至っていない。私の個人的な意見としても、例えばDIDにみられる患者の性格特性とBPDは大きく異なる。DIDの方の場合は相手に対する配慮や自罰的な傾向が顕著である。ところがBPDの場合は気分にムラがあり、攻撃性や怒りはむしろ外に向かうという点で方向が逆なのである。私にとってはBPDの人はその気分のコントロールが不全な点においてある種の生得的な何かを持っているように感じられる。そしてそれが幼少時のトラウマなどによりさらにさまざまな形で修飾されているという印象を受ける。
 そのようなBPDの特徴と捉えるための概念として、私は最近提唱されているいわゆる「hyperbolic temperament」説に注目している。

Hopwood, C., Thomas, KM, Zanarini, MC (2012) Hyperbolic temperament and borderline personality disorder Personal Ment Health. 2012 February 1; 6(1): 22–32.

Zanarini MC, Frankenburg FR. The essential nature of borderline psychopathology. Journal of Personality Disorders. 2007; 21:518–535.)

簡単に解説するならば、これはボストンの Zanarini グループが1900年代末に提唱した説であり、ボーダーラインの病理のエッセンスとして、Hyperbolic temperament による心の痛みが特徴であると説いた。ちなみにこの「hyperbolic」はうまく訳せない。「双曲線」、とか「誇張された」という意味だが、「Hyperbolic temperament 誇張気質」となると、とんでもない誤訳扱いされるだろう。そこでとりあえず「HT」と表記しておくことにする。
 彼らの2012年の論文を読むと、次のように記されている。BPDに関しては気質かそれとも成育環境(幼少時のトラウマ等も含まれる)かという議論がいろいろなされてきたが、結局両方が関係しているらしいということが分かってきている。そしてあくまでも気質の部分を取り出したのがこのHTであり、それは以下に要約される。
「容易に立腹し、結果として生じる持続的な憤りを鎮めるために、自分の心の痛みがいかに深刻なのかを他者にわかってもらうことを執拗に求める。 “easily take offense and to try to manage the resulting sense of perpetual umbrage by persistently insisting that others pay attention to the enormity of one's inner pain” 」(Zanarini & Frankenburg, 2007, p. 520).

しかし私がこれを推しておいていうのもナンだが、これはDSMのBPDの第一定義、すなわち「他者から見捨てられることを回避するための死に物狂いの努力」とあまり変わらない気がする。というよりは特定の他者へのしがみつき、という傾向についてはDSMの第一定義のほうが簡潔であるという気もする。さてHTはこれを「気質 temperament」としている。要は生まれつき、遺伝子(というよりはゲノム)により大きく規定されている、というわけだ。「でもこれって一種の行動パターンで、経験から出来上がったものではないの?」という疑問も成り立つ。しかしこれはICD-11が作成された過程でクリアーされているのだ。どういうことだろうか?

DSM-5もICD-11もいわゆるディメンショナルモデルを目指した。ディメンションモデルとは、ビッグ5の5つ特性を挙げている。つまりネガティブ情動、制縛性、脱抑制、非社交性、離隔、の5つである。しかし何とそこに精神病性と、BPD性が加わって7つになっているのだ。つまり「精神病性のパーソナリティとBPDに関しては、ビッグファイブでとらえられませんよ。だからBPD時代を一つの人格特性として挙げますよ。」というわけだ。これは要するに、BPDをディメンショナルモデルで描くことを放棄したことになる。つまりBPDはそれをいくつかの要素に分解するにはあまりにも多くの研究がなされ、治療法も考案されているからこれは特別扱いをして残しましょう、ということだ。HTを提唱した人たちからは、BPDを素因数分解されることに危機感を覚え、これだけは特別なものとして残したいという意図があったのかもしれない。でもこれは少しおかしなことでもある。
  最後に次のような比喩を考えてみる。日本にいつしかドラえもんに出てくる「のび太君」のような人が蔓延したとする。あの人もこの人も、まるで「のび太君」のようだということになり、「現代人はどうしてのび太君的になったのか?」などの本がベストセラーになったとする。そして精神科医が集まっていくつかのパーソナリティタイプを考えましょうということになり、おりしもディメンショナルモデルが流行っており、結局〇〇さんのパーソナリティは「軽度の『脱抑制』があり、中等度の『陰性感情』があり、ほとんどゼロの『非社交性』があり・・・・」などという形であらわす。ところがその最後に、「中等度『のび太君的』」という項目が付け加わったとしたらどうだろうか?「のび太君的って、それほど純粋で要素的なの? ということになってしまうが、人々はこの表現に満足する。「結局私たちが関心があるのはその人がどの程度『のび太君的』か、ということだからね。」というわけだ。

  この話は少し荒唐無稽だが、この「のび太君的」という代わりにボーダーライン的、とか発達障害的、とかを考えると少しわかりやすいのではないか。
  ともかくもハーマンさんにより始まった、BPDは幼少時のトラウマの結果かという議論は、BPDの病理を把握することの難しさをかえって際立たせたとは言えないだろうか。

2021年4月4日日曜日

エッセイの書き直し 推敲 2

 ということでハーマンのTrauma and Recovery(原著)を二十年ぶりに紐解く。改めて読み直すと感慨深い。そこにこんな記載がある。
 「SDとBPDとDID(MPD)の三つは、今となっては古臭いヒステリーという名前のもとにまとめられていたのだ。」「患者は通常は女性であるが(…)その信憑性が疑われ、操作的であったり、詐病を疑われた。」。「これらの診断は差別的な意味を伴い、特にBPDがそうであった。」(以上、Herman, 1992,p.123)「彼女たちは「強烈で不安定な関係性intense, unstable relationships を示す」(p.124)。「BPDでは、一人でいるのが辛いが、他者を疎むこともある。」(p.124)あるいはこうも主張する。「これらの三つの共通分母は幼少時のトラウマである。」(p.125)「BPDではMPDのように断片化された交代人格を持つことができないが、MPDと同様にそれらを統合するということに困難さを有する。」(p.125)。「SDとBPDとDIDはおそらくCPTSDの変異型variant として最もよく理解されるだろう。」(p.126)「PTSDの症状の中でも生理神経症と呼ぶべき症状がSDであり、意識の歪曲が最も顕著なのがDIDであり、アイデンティティと他者との関係性の障害が最も顕著なのがBPDである」(p.126)そしてハーマンはBPDの81%が虐待を受けているというデータを示している(p.126)。
 以上原著での出現順に並べたが、ハーマンの意図は十分伝わってくるだろう。幼少時の特に性的虐待により生じるCPTSDの中にBPDの要素が占める部分は非常に大きいという事が分かる。
 ハーマンはこの「心的外傷と回復」という本では本格的にCPTSDのことを論じているわけではない。しかし同時期にCPTSDというテーマに特化した論文を発表している。それがComplex PTSD: A Syndrome in Survivors of Prolonged and Repeated Trauma(Journal of Traumatic Stress, Vol. 5, No. 3, 1992 pp.377-191)である。そこではこのCPTSDがDESNOS(ほかに分類されない極度のストレス障害)という名前でDSM-IVに掲載されることが検討されているという。結局DSM-IVにはDESNOSもCPTSDも掲載されなかったのだが、まずはこの論文の記載についても少し見てみよう。
 まずCPTSDは症状が多様に出現するとして、それを身体症状、解離症状、情動的な変化と説明し、それから性格の変化Characterological Sequelae of Prolonged Victimizationの記述へと進む。ちなみにこの記述からハーマン主としてprolonged captivity において生じる症状について論述しており、小児の虐待状況という言い方に限定していないのがこの論文の特徴である。このCPTSDにおける性格の変化という事でいくつかの項目が出てくるが、そこでは「他者との関係の病的な変化」として再び「強烈で不安定な関係性」が論じられ、もっともそれを典型的に表すのがBPDであるという記述がみられる。そこには孤独への耐え難さと他者の耐え難さが共存するという。そしてハーマンは、同じようなことはMPDについても言える、と主張する。ここの記述はやはり「心的外傷と回復」と変わらないことになる。
 次に出てくるのが「アイデンティティの変化」。ここにもBPDとMPDが出てくる。後者ではいくつかの部分が人格を形成するが、前者ではその能力がないために、スプリッティングの形をとるのだ、という言い方だ。ここら辺でもBPD≒MPDの論法が目立つ。そして最後の項目が、自傷がその後も続くという記述である。そしてこのような診断が大切なのは、これをパーソナリティ障害と見誤ることを防ぐことが出来ることだ、と書いてある。つまりBPDという診断がすでに見下したような診断であり、彼女たちはそのように診断されるべきではない、と言いつつもCPTSDの症状はBPDに頻繁にみられると言っている。果たしてBPDはCPTSDと違う、と言っているのか、後者が前者を含む、と言っているのか簡単には判断できない。ただしCPTSDとBPDがとても近い関係にある、ということはニュアンスとして伝わってくるのだ。

2021年4月3日土曜日

エッセイの書き直し 推敲 1

 パーソナリティ障害とCPTSDについて考える

私は複雑性PTSD(以下CPTSDと表記)という概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年に米国の精神科医ジューディス・ハーマンがその著書 ”Trauma and Recovery” (Herman, 1992, 邦訳「トラウマと回復」)の中で打ち出したのであるが、そのころ米国のメニンガークリニックの精神科レジデントだった私は、この著書が周囲の臨床家にかなり好意的に迎えられたことを記憶している。その後実際にハーマンや同じボストンで活躍する盟友であるバンデアコークの実際の講演を聞き、彼女たちの熱い思いを感じたものだ。
 それ以来DSMやICDなどの国際的な精神疾患の診断基準が改訂されるたび、CPTSDやそれと類縁の概念であるDESNOS(Disorder of Extreme Stress, not otherwise Specified;ほかに分類されない極度のストレス障害、ヴァンデアコークらにより提唱される)が正式に採用されることを期待したが、失望に終わっていた。そして今回ようやく今回ICD-11
 にこれが所収される運びとなった。私はこのことをとてもうれしく思う。
 私はCPTSDもDESNOSも、そしてそれ以外のいかなる診断名も、それが単なるラベリングであるという事はわきまえているつもりである。それは患者個人の個別性を規定するものでは決してない。しかしその上で言えば、CPTSDというラベリングはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。そしてそれは私が特に臨床現場で解離性障害を持つ方々に出会うことが多いという事が関係しているかもしれない。
 さてその上でCPTSDとパーソナリティとの関係について考えるというのが私に与えられたテーマであるが、このテーマに関しては以下に述べる少しこみいった事情がある。

端的な言い方をしよう。ハーマンのこのCPTSDの概念には、初めからフェミニスト的なスピンがかかっていたのである。一般にトラウマ論者はフェミニズムに関心を寄せる傾向があるのは、多くの性被害に遭われた方がその治療の対象となることを考えれば納得がいくことである。そして彼女の場合はそれを精神医学の歴史において従来差別の対象とされてきた「ヒステリー」の患者さんたちへの思いをこのCPTSDの概念に重ねているのだ。ちなみにフロイトはヒステリーを治療の俎上に載せたという功績はあるが、トラウマ理論をどちらかといえば否定するような理論を打ち立てたという意味ではフェミニストたちの中にはフロイトに対して賛否が分かれているという事情がある。

Webster, Denise C., and Erin C. Dunn (2005)Feminist Perspectives on Trauma. in Women & Therapy. The Haworth Press, Inc. 28:111-142

資料によると、もともとハーマンはフェミニスト運動を始める前は、反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。その意味では筋金入りだったのだ。そして精神科医になるための研修をする中で、彼女はある事実に突き当たったという。それはそれまで非常にまれだと報告されている女性の性被害(女性の僅か1%しか性的虐待を受けていない、など)の犠牲者を、精神科の患者の中になぜか非常に多く見出すという事実だった。彼女は1986年の研究で、190名の女性の精神科患者を調査し、三分の一の患者が身体的、性的な虐待を受けていたと発表した。
 以上の経緯でハーマンは1992年に「心的外傷と回復」を書くに至ったわけだ。しかし彼女の口調や物腰は柔らかく、フェミニストではない人たちを遠ざけることなく、フェミニズムに焦点づけられていたと言われる(Webster, 2005)。

さてハーマンがCPTSDとして具体的に想定している一群の患者が従来「ヒステリー」と呼ばれてきた人たちであると述べたが、ヒステリーという概念は過去の遺物という印象を持つかもしれない。実際にそれが精神医学の表舞台から消えるきっかけになったのが1980年に発刊されたDSM-IIIであった。しかし私が精神科医になった1980年代の前半には、ヒステリーはまだ日本の精神科の教科書に普通に載っていた。それは例えば「解離性ヒステリー」「転換性ヒステリー」という二つに分類されていたのである。これは伝統的な分類に従ったものだった。
 ハーマンは従来のヒステリーは、解離性同一性障害(従来の多重人格障害、以下DID)、身体化障害(以下、SD)そして境界パーソナリティ障害(以下、BPD)を含んでいたという。この主張の大きな特徴は、ここにBPDを含めていることである。それがなぜユニークなのかを説明しよう。

先ほどヒステリーが精神医学の表舞台から消えるきっかけになったのがDSM-IIIであったと述べたが、そこでは従来のヒステリー神経症という表現を()つきで残しながらも、「解離性障害dissociative disorder」(従来のヒステリー神経症、解離タイプ)と「身体表現性障害 somatoform disorder」(従来のヒステリー神経症、転換タイプ)に分けていた。つまり伝統的な分類の形を残したのである。だからハーマンがヒステリーの代表としてDIDとSDを挙げるのにはそれなりの根拠があったわけだ。しかしそこにBPDを含めることには、違和感を覚える人がいてもおかしくない。

2021年4月2日金曜日

エッセイの書き直し 13

 このエッセイの結論としては以下のようになろう。

さてここまでエッセイを書き進めてやっぱり私の思った通りだということになった。やはりハーマン先生のCPTSDの概念の提出は偉業であった。慢性のトラウマを体験した人々の精神障害についてのプロトタイプとして掲げられたCPTSD概念には大きな意義があり、ICD-11への形成により、この問題に対する啓発という目的は達成された。ただしこれは一つの出発点かもしれない。トラウマ理論の持つ様々な課題はまた別のところで論じたいが、私たちはトラウマに対する精神科身体の反応についてようやくその理解の端緒にたどり着いたと言える状態ではないか。

その一方でハーマンさんの「CPTSD≒従来のヒステリー≒DID、BPDという図式はわかりやすいが単純化されすぎていたと言わざるを得ない。私の個人的な意見としても、DIDとBPDの方々は、性格特性という意味では真逆なのである。私にとってはBPDの人はある種の生得的な何かを持っている。それがトラウマなどによりかなりそれが修飾されてしまうという印象を受ける。

ちなみに私は最近提唱されているいわゆるhyperbolic temperament 説を追いかけたい。以下が参考文献である。

Christopher J. Hopwood, Katherine M. Thomas, Mary C Zanarini によるHyperbolic temperament and borderline personality disorder Personal Ment Health. 2012 February 1; 6(1): 22–32.

Zanarini MC, Frankenburg FR. The essential nature of borderline psychopathology. Journal of Personality Disorders. 2007; 21:518–535.)

簡単に解説するならば、ボストンのZanarini グループが1900年代末に提唱した説であり、 彼女が Frankenburg 先生と協力してボーダーラインの病理のエッセンスとして、Hyperbolic temperament による内的な心の痛みが特徴であると説いた。(ちなみにhyperbolic は訳せない。双曲線、とか誇張された、という意味だが、「Hyperbolic temperament 誇張気質」となると、とんでもない誤訳扱いされるだろう。そこでHTとしておこう。(どうやらこの概念、まだ誰も日本で紹介されていないのか、ネットで検索ワードとして「hyperbolic, 境界」としても「hyperbolic, ボーダーライン」でも何もヒットしないので、誰かが訳したものを使うことができない。

ともかくもこの2012年の論文を読むと、結局こういうことが書いてある。BPDに関しては気質かそれとも成育環境(もちろんそこには幼少時のトラウマも含まれることになる)かということが言われてきたが、結局両方、ということが分かってきている。そしてこのHTとしてどのように説明されているかと言うと、以下の通りだ。「容易にネガティブな感情を体験し、そして容易に立腹し、他者にいかに自分の内的な苦しみが大きいかを訴えることで、持続的に生じている怒りumbrage を沈めようとすること“easily take offense and to try to manage the resulting sense of perpetual umbrage by persistently insisting that others pay attention to the enormity of one's inner pain” (Zanarini & Frankenburg, 2007, p. 520).

さて問題はこれが気質なのか、ということだ。もしそうならビッグファイブとの関連性は? ところがICD-11の構成を見るとある程度その答えがそこにある。パーソナリティのディメンションモデルは、NADDDの5つのパーソナリティ特性を挙げている。つまりネガティブ情動、制縛性、脱抑制、非社交性、離隔、の5つである。しかし何とそこに精神病性と、BPD性を加えて7つにしている。つまりBPDは別格の、一つのパーソナリティ特性なのだ!!これはBPDについてはディメンショナルモデルでくくることは出来ないという表明とは言えないだろうか?

皆さんはこのエッセイを読んでも当然納得しないかもしれないが、BPDとは通常のパーソナリティの誇張されたものとも言えない、しかしトラウマについてにかかわっているとも限らない(と言っても明らかにトラウマにより悪化することは確かである)捉えどころのない状態なのだ。そのことを、今回のCPTSDの市民権の獲得の機会に、改めて私たちに思い至らせたのだ。

2021年4月1日木曜日

エッセイの書き直し 12

 さてDSM-IVの臙脂のテキストが発売されたのは1994年だったが、ここではこのDESNOSが掲載されるという期待があったがそれはかなわず、それは2013年のDSM-5についても同じであった。その理由としては飛鳥井先生の論文をもとに説明しよう。問題はフィールドトライアルにあったらしい。DESNOSの基準を満たしてPTSDの診断がつかなかった人はわずか8%だったという。そこでDSM-5ではPTSDに解離タイプを設けるなどして新たにDESNOSは採用しなかったというわけだが、そこで発想を転換して、名前もCPTSDとして、その中にPTSDの診断基準を含みこんでしまおうということになった。両者はダブって当然、ということになる。そしてそのうえでDESNOSのフィールドトライアルの中で頻度の多かった「感情制御困難」「否定的自己概念」「対人関係障害」を加えるということになった。この三つはどこかで見たことがあろう。そうDSO(自己組織化の障害)の構成要素だ。これはすでに紹介したDESNOSの基準で下線を引いた部分だ。復習しよう。

1.感情及び衝動の制御の変化(感情制御、怒りの調節、自己破壊、自殺への没頭、性的関与の制御困難、適度のリスク選択)

2.注意ないし意識の変化(健忘、一過性の解離エピソードと離人感)

3.身体化 (消化器症状、慢性疼痛、心肺症状、転換症状、性的症状)

4.自己概念の変化(役に立たない、恒久的ダメージ、罪業と責任)

5.加害者への感覚の変化(ゆがんだ思い込みを抱く、加害者の理想化、加害者を痛めつけることへの没頭、恥辱、だれもわかってくれない、卑小感)

6.他者との関係の変化(信用できない、再外傷、他者に被害を与える)

7.意識体系の変化 (絶望と希望喪失、以前は保っていた信念の喪失)

このことから「自己組織化の障害」がどうもピンとこないのも納得がいく。というのもAD(情動の調整不全)、NSC(否定的な自己概念)DR(関係性の障害)は7つの別々のカテゴリーを寄せ集めたものだからだ。

そしてBPDとの関連では、飛鳥井先生も述べるように、CPTSDとBPDはかなり明確に区別されるということだったという。そこで紹介されているCloitreら(2014)の研究について言えば、BPDの本質的な特徴とされる「見捨てられまいとする死に物狂いの努力」「理想化と脱価値化の間を揺れ動く対人関係」「不安定な自己感覚」「衝動性」はいずれもCPTSDでは低かった…・なんということだ。また自殺企図や自傷行為はBPDでは50%だったが、CPTSD,PTSDでは15%前後だったという。このようにハーマンさんのCPTSDはようやくICD-11で日の目を見たと同時に、CPTSD≒BPD説は否定された形になっているのである。