2026年9月25日金曜日

エナクトメントについて 2

  ここで私のエナクトメントについてのアイデアを膨らます。突然であるが、私は囲碁や将棋、スポーツ一般の観戦が好きである。それは不正の入る余地がないからだ。人と人とのかかわりはたいていは忖度とか遠慮とか不正が介入する。人同士のやり取りには、常に一種の化かし合いのニュアンスがある。二国間の紛争など特にそうだ。一方が他方に先制攻撃をする。攻められた方は「相手に先制攻撃をされたから」応戦するという口実が生じる。ところが本当は「先制攻撃をされた」という訴えが偽りだったりする。あるいは先制攻撃したほうが、「実は歴史的には相手国にこれまで蹂躙され、攻撃を受けてきたのだ。だからこれは一種の自衛である」とかなんとか言い、結局どちらが攻撃を仕掛け方が曖昧になる。そして両者は相手を欺くことばかりを考え、決して本音を言わない。企業によるデータの改竄や政界の汚職、脱税など数限りない不正がこの世では生じる余地がある。  ところが将棋はどうだ。(別に囲碁でも相撲でもいいが。)不正の介入はあり得ない。駒を盤に置いた後、「あ、間違えた」と打ち直すなどということは絶対に反則なので起きようがない。駒を置く瞬間に「あ!待った!」とか言い、実際に駒が盤に触れたか触れないかがビデオ判定になる、などということは普通は起き得ない。つまり不正はあり得ないのだ。  そして私が感動するのが感想戦である。勝った方も負けた方も対等に意見を出し合う。実際の対局中に起きた様々な妙手なども、感想戦では「あの時あそこに角打ちをしようかと思いましたが、その先の詰みを見通せないので止めました」「ああ、そうだったんですね。」等の会話は、そこにお互いに相手への思いやりはあっても下心はなく、両者が純粋に将棋道の真理を追求することを目的としているという気がする。本当に将棋が好き、という共通項がないと出来ない芸当だと思う。あれほど闘志を燃やして戦い、負けた方はさぞかし悔しいし相手を恨む気持ちが湧いてもおかしくないのに、あの潔さは何だろう?(実はあれほど真剣勝負なのに、裏に壮大な八百長があるって?ありえない!)。  エナクトメントというテーマなのにどうして将棋の感想戦についての話になっているかというと、思われるだろう。一言でいえば、エナクトメントについて扱うことは、この感想戦にどこか通じているような気がするからだ。