2026年9月29日火曜日

成田先生のこと 13

成田先生の自己言及ないしは自己開示
この辺で、成田先生の学派的な色付けを無理やりしてみたい。彼も草葉の陰でさぞかし迷惑がっているだろう(笑い)。はっきり言って、成田先生は関係論者である!!彼は伝統的な分析的な考えには少しもこだわっていない。彼は成田理論を全うし、それは関係論的な境地とかなり一致している。ただし成田自身はおそらくそんなことはあまり大事ではなかったであろうとも思う。
私は最近エナクトメントの文章を書く必要に迫られているが、エナクトメントを治療作用の主軸に据える傾向が最近の関係論にはあり、そこでは自己開示をタブーとしない傾向にある。エナクトメントについて扱う上で、治療者が自分自身の関与を棚上げすることは論理的に無理があるからだ。しかし自己開示は今でもかなりタブー扱いされ、分析学会ではそのような介入はまず問題視されるであろう。だからそれについての姿勢を示すことにはどの療法家も極めて慎重になる。
しかし成田先生にはそのような懸念が見られない。最近注文した「成田善弘 心理療法を語る」(金剛出版、2024)の「治療者の自己開示をめぐって」の章を見てみよう。(この章は2017年の、第18回日本サイコセラピー学会特別講演をもとにしてあるが、彼の後期の考えを代表しているとみていい。)
この章を読むと、成田が自己開示の問題に関して、それが過小評価されるに至った経緯を主として精神分析理論の流れの中で論じている。そして「自己開示のイメージは・・・タブーとなりました。その後・・・それについて正面から論じることは精神分析の中では長い間避けられていました。」(p203)としている。つまり成田はこのテーマがタブーであることは十分承知でありながら、そもそもフロイト自身が自己開示をしていたという事実についても論じ、フロイトが「理論的に主張するほど中立的に振る舞っていたとは言えない」(204)とする。そしてこういう。「私はセッション内の治療者の主観的体験は、開示する方向で考えるべきだと思っていて、これを「白状する」と称しています」(225)と述べ、それが治療の転機となることについて述べている。