2026年8月21日金曜日

CPTSD概念のインパクト 2

  むろんCPTSDもラベリングである以上、将来もっとふさわしいラベリングが提案されるかもしれないとも思う。ふた昔も前の1970~80年代に境界パーソナリティ障害の概念が広く用いられたころは、それを用いることで納得した観のある患者さんがたくさんいらしたが、今思い返すならば、別の診断名を用いるべきだったであろうと思えるケースもある。同じようなことが将来起きるかもしれないし、その意味でも診断はあくまでもラベリング、という捉え方の方が無難であろうとは思う。

 このラベリングという表現のニュアンスについては一言付け加えておきたい。それは個々の患者さんを詳しく知ることで、このラベリングとはまったく別個の意味を持つからだ。人はそれぞれ小宇宙のようなものでる。それは極めて複雑で予測不可能な面を持つ。一つの色に表現することのできない天然色である。それは例えばパッと見ると「オレンジ色の絵」と感じても、近づいて細かな筆使いまで見れる距離では、実に様々な色が混ざり合っているのだ。そしてその奥行きや繊細さを知った上ではもう単なる「オレンジ色の絵」では済ましたくなくなるだろう。それと同じように一度その患者のことを知ると、例えばBPD等の診断名を当てはめることに後ろめたさを感じることが常である。それはいかにも表層的で一面的、あるいは一種の決めつけのような気がするのだ。でも少し遠めでその人を見ると、やはりそのラベリングは「似合っている」という面がある。その人を人間として認識する以前に表層的に捉える際にはやはり有用であるという面もあるのである。